ミシェル・ウエルベック "Donald Trump Is a Good President" 内容紹介

ミシェル・ウエルベックは、その政治思想を位置付けるのが難しい作家であると言えます(とりあえず自由主義が嫌いだというのは明らかでしょうが)。そんな彼が2018年にアメリカの Harper's Magazine*1 に寄せた "Donald Trump Is a Good President" という文章の改訂版記事がオンライン上で読めることを発見したので、その内容を紹介しつつコメントを付けていこうと思います。

 

 

 

内容紹介 

 

記事は次のように始まります。

 

率直に言って、わたしはアメリカ人が大好きである。[中略]あれほどまでにひどい道化が国のトップであるということに対して多くのアメリカ人が抱いている羞恥の念に、わたしは共感する。

 

いきなり記事の題と反するような発言が出てきました。これはどういうことでしょう。

 

しかしながら、あなたがたに次のことをお願いしなければならない。[中略]少しの間、物事をアメリカ人以外の視点から考えてみてほしい。[中略]これは「残りの世界の視点で」という意味だ。

 

「残りの世界の視点」とはどのようなものなのでしょうか。そのような疑問を残したまま話が少しずれて、フランスの話になります。これまでトランプの当選について聞かれても「知ったことか I don't give a shit」と答えてきたとウエルベックは言います。曰く、フランスはアメリカの州ではないからです。つまり、所詮は他国の話だということですね。

 

フランスは多かれ少なかれ独立国家である。EUが解体すれば(これは早ければ早い方が良い)、フランスは再び完全な独立を得るだろう。

 

ここから、ウエルベックEUに反対であるということが分かります。また各国家は互いに無関係に独立している方が良いという考えも持っていそうです。ちなみに「多かれ少なかれ more or less」という部分に、フランスは完全な独立国家だと無邪気に思っているフランス国民への嘲りみたいなものを感じるのはぼくだけでしょうか......?

 

アメリカはもはや世界の中心ではない。[中略]

今やいくつかある主要国のうちのひとつである。

これはアメリカ人にとって必ずしも悪い知らせではない。

残りの世界にとっては非常に良い知らせである。

 

アメリカが「世界の中心」でなくなったことが、「アメリカ人にとって必ずしも悪い」ことではないというのは面白いですね。

 

とはいえ、アメリカは依然として世界最大の軍事力を持っており、「不幸にも」国外への軍事介入は続いているとウエルベックは指摘します。「わたしは歴史家ではないが」と断ったうえで、アメリカが最後に戦争に「勝った」のはかなり昔の話であり、少なくともここ50年間の外国への軍事介入は「不名誉の連続であり結果的に失敗」であるとまで言います。そして、その最後の勝利というのは「第二次世界大戦」であると。

 

次に、もしアメリカが第二次世界大戦に参戦していなければ、アジアの運命は大きく変わっていただろうと述べます。一方ヨーロッパに関しては、ヒトラーは相変わらず敗戦し、共産主義が今よりも勢力を伸ばしていただろうとしています。それはウエルベックにとって「不快なシナリオ」です。しかし彼の考えでは、ソ連も結局は現実と同じように崩壊するようです。

 

アメリカが参戦しなかったとしても、第二次世界大戦の]40年後に、ソ連はまったく同じように崩壊していたことだろう。それは単に、ソ連が役に立たないインチキなイデオロギーに基づいているからだ。

 

ソ連の脅威はヨーロッパにとって恐るべきようなものではない。なぜならそれはそのうち自壊するからだ、ということですね。ではウエルベックの考えでは、ヨーロッパの長い歴史において常に脅威となってきたものとは何でしょうか。そう、イスラム教です。そして、イスラム教との戦いは今日、ヨーロッパにとって重要な位置に戻りつつあるようです。

 

ウエルベックイスラム教を常に馬鹿にしてきたことは有名です。それは作品中だけの話ではなく、現実世界においても彼はイスラム教を侮辱する発言をしており、2001年にはフランスのイスラム教系団体から訴えられています(翌年に無罪判決が出ました)。ですので、この先にイスラム教に対して攻撃的な文章が続くのかと思ったのですが、実際には違いました。

 

続く文章でウエルベックは、イラク戦争を「反道徳的かつ愚かな戦争」であると述べます。彼はイラク戦争に批判的なんですね。ここで、フランスに対する皮肉混じりのコメントが入ります。

 

イラク戦争への参戦を断った]フランスは正しかった。このことを指摘するときに感じる喜びは、フランスがド・ゴール政権以降めったに正しいことをしてこなかっただけに、なおさら大きいものである。

 

そして、オバマがシリアへの攻撃に参加しなかったことを褒め称えます。あれ、ウエルベックってこんなに人道的でしたっけ。彼は続けて次のように述べます。

 

トランプはオバマによって始められた撤退政策を継続し、拡大している。これは残りの世界にとって非常に良い知らせである。

アメリカ人は我々に干渉しない。

アメリカ人は我々に存在することを許している。

 

ここで考えておくべきなのは「我々」とは誰なのかでしょう。おそらくそれは「残りの世界」=「地球上のアメリカ以外の部分」のことです。

 

そうするとトランプは、撤退政策を継続かつ拡大しているために「残りの世界」にとって「良い大統領」なのでしょうか。それはトランプの悪行を凌駕するほど良いことなのでしょうか。悪行、それはたとえば「デモクラシー」の軽視や「報道の自由」への圧力などです。

 

ウエルベックは、アメリカ人がもはや世界中に「デモクラシー」を広めようとしていないと指摘したうえで、「デモクラシーとは何であろうか」と問いかけます。そもそも彼にとって、部分的にではあれ実際に「デモクラシー」を享受しているのは世界でスイスだけです。また彼は、スイスの中立主義を「賞賛に値する」と形容します。

 

さらにウエルベックは、アメリカ人にはもはや「報道の自由」のために死ぬ覚悟がないとしたあとに、こちらもまた「報道の自由とは何であろうか」と問いかけます。そして自分は12歳のときからずっと、許容される意見の範囲が縮小していくのを見ていたと言います。これは、政治権力による「報道の自由」への圧力だけではなく、ポリティカル・コレクトネスに基づいた表現規制を踏まえての発言であると思われます。このふたつはウエルベックにとっては同じことであるようです。

 

以上より、トランプが軽視したり圧力をかけたりしているものはトランプ以前からそもそも存在していない、あるいは縮小傾向にあるとウエルベックが考えていることが分かります。

 

次に、脱線のように思えるドローンの話が挟まりますが、ウエルベックらしい皮肉の効いたものですので訳してみます。

 

アメリカ人はますますドローンに頼っている。もし彼らがこの兵器の使い方を知っていれば、それは[軍事作戦における]民間人犠牲者の数を減らせるだろうに(しかし実際のところ前々から、やや誇張して言えば航空術が創始されて以来、アメリカ人は適切な爆撃を実行することができていない)。

 

これまで話からすれば、軍事の面におけるトランプの姿勢がウエルベックにとっては歓迎すべきものであるということになります。「しかし」と彼は言います。

 

しかし、アメリカの新しい政策においてもっとも注目すべきであるのは、疑いようもなく、貿易におけるアメリカの位置であり、そこにおいてトランプはまるで新鮮な空気をもたらす健康的な呼吸のようである。

 

自らの意にそわない貿易に関する条約や合意を破棄している点においてトランプは正しいとウエルベックは言います。

 

指導者たちはクーリング・オフを利用して悪い契約を破棄する術を知るべきである。

 

自由市場を望む自由主義者たち(彼らは共産主義者と同じほど狂信的である)とは違い、トランプ大統領は世界的な自由市場を人類の進歩の本質や結末だとは考えていない。

 

ただし、反自由市場の態度はトランプの信念に基づくものではなく、もし自由市場がアメリカの利害と一致するならばトランプは自由市場を好意的に受け入れるだろうとウエルベックは述べます。

 

加えてウエルベックは、トランプがアメリカ労働者階級の保護を掲げて当選したという事実を強調します。また、フランスでも長年そのような態度を取る存在が待ち望まれていると言います。

 

続いて、EUの話に移ります。曰く、トランプはEUが嫌いであり、それは「我々」、つまりEU加入国の国民がそれほど多くのものを共有していない、特に「価値観」を共有していないとトランプが考えているからです。そしてトランプは「EU」とではなくそれぞれの国と直接交渉しており、それはウエルベックにとって望ましいことなのです。

 

さらにウエルベックは、ヨーロッパは何も共有していないと言い、最終的に「ヨーロッパは存在しない」と言い切ります。

 

端的に言って、ヨーロッパとはただただ愚かな観念であり、徐々に悪夢へと変わりつつある。我々はそのうちその夢から目覚めるだろう。

 

トランプと同様に自分も「ブレグジット」を歓迎したとウエルベックは言います。ただしイギリスに先を越されてしまったのは悔しい、と彼は付け加えますが。

 

次に、ロシアについての話に移ります。トランプがそうであるように自分もプーチンを評価するとウエルベックは述べます。ウエルベックの場合、その理由は現在のロシアで正教会が持続していることにあります。ウエルベックの見立てによると、ヨーロッパのキリスト教にとって、1054年正教会ローマ・カトリック教会の分裂が「終わりの始まり」であり、両者の再統一こそがキリスト教存続のために重要なのです。というのもキリスト教は「聖書の宗教 religion of the Book」であるだけでなく「受肉の宗教 religion of the Incarnation」であるとウエルベックは考えているからです。

 

ウエルベックは『素粒子』内で主人公のひとりであるミシェル・ジェルジンスキに「宗教なしでいったいどうして社会が存続できるのだろう?」「西欧社会は何らかの宗教なしで、いったいいつまで存続できるのか?」と述べさせています*2。また、『素粒子』の原著が出版される2年前に行われたインタビューにおいて、自分自身は反宗教の立場であるとしながらも、文明というものは宗教がなければ存続できないとの考えを述べています*3

 

これらの点を踏まえると、西欧社会を存続させるためには宗教が必要であり、その宗教、つまりカトリックが存続するためには正教会との再統一、あるいは両者の歩み寄りが必要であり、そのような正教会を保持しているロシアの大統領であるプーチンを蔑ろにしていない点で、トランプのことを評価できるということでしょう。

 

そして今度は話が北朝鮮に移り、「北朝鮮の狂人」を手懐けているとしてトランプを褒めます。

 

どうやらウエルベックは、トランプのEUやロシア、北朝鮮に対する態度を高く評価しているようです。そして次のように述べます。

 

トランプ大統領は最近「わたしが何者か知っているか? ナショナリストだ!」と言明したようだ。わたしもまさにそうである。ナショナリスト同士では会話することができる。しかしインターナショナリストたちとの会話は、奇妙なことにあまり上手くいかない。

 

それから、フランスはNATOを去るべきだとウエルベックは言います。しかしそれはNATOが自壊するまで起こらないことであろうとも。その点、(2018年当時)NATO脱退を示唆しているトランプは賞賛に値するというわけです。

 

以上で述べてきたことを理由に、「トランプ大統領は今までわたしが見てきたなかでもっとも良い大統領のひとりであるように思える」とウエルベックは結論付けます。ただし、「個人のレベルにおいては、もちろん彼はたいそう胸糞の悪いやつだ」とも言います。たとえば、「障害者を笑いものにするのは下品である」と。ですので、もし同じ政策を掲げるのであればトランプよりも真正なキリスト教保守派が大統領になるべきだったと述べます。あくまで、トランプを支持できるのはその政策がウエルベックの考えと合致するものだからということですね。冒頭の発言の謎がここで解けました。

 

そしてここからは、もしトランプ政権が続いた場合、ウエルベックが上で褒めたような政策が続いた場合、世界が、あるいはアメリカがどうなるのかという話になります。

 

[トランプが大統領を続ければ]あなた方は今よりほんの少しだけではあるが競争好きでなくなるだろう。そして、あなた方の素晴らしい国の境界線内で生きる喜び、正直と美徳を実践する喜びを再発見するだろう(相変わらず不倫はあると思うが。でも完璧な人などいないのだから、そのことについては安心してほしい。[中略]わたしは吐き気のするような「浮気なフランス男」を演じたいわけではない。ただ、最小限の偽善は維持するようにと懇願しているだけだ。偽善というものがなければ人間社会においていかなる生活も不可能であるのだから)。

 

ここで注目すべきなのは、「競争」という言葉でしょう。ウエルベックが資本主義的な「競争」を嫌っていることはこれまでの彼の小説やエッセイ(特に "Approches du désarroi" )を読めば明らかです。トランプの外交政策は国家と国家の「競争」を弱める効果があり、その結果として人と人の「競争」も弱まるとウエルベックは考えているようです。ではなぜそのような結果が生まれるのでしょうか。

 

ウエルベックの見立てでは、国家間の貿易量は徐々に、しかもそう遠くないうちに減少に転じます。彼にとってそれは、「望ましい目標」であります。また、国家間の貿易量が減少することはすなわち、航行する貿易船の数の減少、乗組員の数の減少をもたらすと彼は考えます。その結果、船や人のそれぞれを攻撃から守ることが今よりも容易になり、海上保安のための軍事力が縮小に向かうと彼は考えます。

 

あなた方の救済者気取りの軍国主義は完全に消滅するだろう。そうすれば、世界はただただほっと一息つくだろう。

 

最後に中国とインドの話になります。ウエルベックの予想では、中国もインドも最終的にはその「傲慢な野望」を縮小させます。両者はともに、決して「世界的な帝国主義的勢力」ではないと彼は言います。それは両者の軍事的な狙いがアメリカとは違って世界に向いていないからです。

 

しかし中国とインドの経済的な狙いは世界に向いているとウエルベックは指摘します。ここにおいて、制裁を課すことでされるがままになっていないトランプは「非常に正しい」とします。今は互いに張り合っているが、最終的には中国とインドの問題行動は収まり、経済成長率は減少していくだろうとウエルベックは予想します。この予想の根拠としては、記事に明記されてはいませんがおそらく、上で述べられたような国家間の貿易量の減少が起きることで、世界貿易によって経済成長を果たしている2国の成長が止まるということが考えられているのでしょう。

 

そして、今ここで予想したようなことは「すべて、ひとりの人間の一生のうちに起こるだろう」とウエルベックは述べ、最後にこう言います。

 

アメリカ国民のみなさま、あなた方はこの考えになれなければならない。結局のところ、ドナルド・トランプはあなた方にとって、避けては通れない厳しい試練でありつづけるかもしれないということに。そしてあなた方は永遠に旅行者として歓迎されるだろう。

 

原文では "maybe Donald Trump will have been a necessary ordeal for you" となっていますが、ここで未来完了形が用いられているのはそこに、ウエルベックが予想したような望ましい未来が実現するまでトランプがそのような試練でありつづける、というような意味が含まれているからでしょう。

 

最後の段落で、ウエルベックの姿勢が一気に明確になるように思われます。つまり、トランプの行う外向きの政策は「残りの世界」に住む「我々」にとっては歓迎すべきものであり、内向きの政策によって「あなた方」アメリカ人が苦しんでいることには同情するが、せいぜいがんばって耐えてくれ、というような姿勢です。結局のところ、ウエルベックは "I don't give a shit" の姿勢を貫いているように思われます。

 

また、最後の文はふたつの読み方ができると思います。ひとつは「(侵略者としてではなく)旅行者として」というものです。競争相手ではなく、友好的な旅行者として。これは国家的な侵略と同時にアメリカ系企業の世界侵略を忌避しての発言であるでしょう。

 

もうひとつとしては、「旅行者として(なら)歓迎される」が移住してこないでくれ、という風に読み取ることができるかと思います。つまり、「我々」にとって利益のある政策を行うけれども人として難のあるトランプなんてやつを選挙で選んでしまったアメリカ国民には、自国に住んでほしくないという思いがここに現れているように感じます。また、そのように考えると文章中で使われる「あなた方 you」というのは、ただ単に「アメリカ人」を指しているというよりは、「トランプ政権を誕生させてしまったアメリカ国民たち」を指しているのではないかと考えられます。

 

 

まとめ

 

端的にまとめると、トランプという人物はクソであるが、トランプという大統領とその政策、とりわけ軍事的撤退や反自由市場的姿勢はアメリカ国外に利益をもたらすのでトランプは "a good president" である、ということでしょう。

 

この記事から考えるに、ウエルベックにとって理想の世界とは、国家と国家がほぼ完全に独立し、互いに無干渉であるような世界であるようです。また、国家と国家の競争が、人と人との競争に繋がっているとも考えているようです。ただし彼は『ある島の可能性』において、人間が互いに物質的に孤立して生きる世界を否定的に描いており、あくまで独立無干渉が推奨されるのは国家レベルに限った話であると考えられます。

 

加えて、記事中で「我々」の範囲が変わっていることにも注目すると、ウエルベックの視線が結局ヨーロッパにしか向いていないのではという疑念が浮かびます。というのも、最初は「残りの世界」つまりアメリカ以外の国や地域すべてを指すと思われていた「我々」が、EUにまつわる話において、実はヨーロッパに限定されていることが明らかになるからです。まるでウエルベックにとって「世界」とはアメリカとヨーロッパからしかできていないかのような印象を受けます。

 

最後に注意事項ですが、ウエルベックは以前「わたしがどういう人間であるのか知っているうえで、あるテーマについてわたしに意見を求めることは、馬鹿げたことだ。なぜならわたしはとても頻繁に意見を変えるからだ」*4と述べています。それゆえ、この記事で述べているような考えを昔から持っていた、あるいは今も持っていると単純に考えることは避けるべきでしょう。また、ウエルベックは自分の考えを直接述べないことが特徴であると指摘している研究*5もあり、彼の発言をそっくりそのまま彼の意見であると受け止めてしまうことは危険であるでしょう。

*1:下記ふたつのサイトによれば、自由主義系の雑誌であるようです。

https://libguides.lorainccc.edu/c.php?g=29395&p=183699

https://www.google.co.jp/amp/s/mediabiasfactcheck.com/harpers/%3famp

*2:ミシェル・ウエルベック素粒子野崎歓訳、ちくま文庫、2006、221頁

*3:https://www.humanite.fr/node/134864

*4:https://www.lemonde.fr/societe/article/2010/09/09/au-proces-de-michel-houellebecq-pour-injure-a-l-islam-les-ecrivains-defendent-le-droit-a-l-humour_1409172_3224.html

*5:Hillen, Sabine (2007) Écarts de la modernité : le roman français de Sartre à Houellebecq, Lettres modernes Minard. p.131. ちなみにウエルベック自身は "Approches du désarroi" 内で「自分の考えを直接述べないのよくないよね」というようなことを書いていて、Hillen はその矛盾も指摘しています。

禁煙日記 最終日

 

喫煙を再開した。トルコで。

 

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ヨーロッパ諸国と同じく、個性を奪われた姿で煙草たちは売られていた。


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Tekel 2000 Maviとかいう、日本では聞いたことのない煙草を現地で買って吸ってみる。パーラメントのフィルターのようないわゆる「リセスド・フィルター」の形式が取られていた。味は粗挽きしたキャメル、みたいな。かなり重めの煙草で、久しぶりだったこともあり、ガツンと来た。煙を吸う勢いやペースを調節することで、心地よい酸欠状態を発生させる。それが喫煙の醍醐味のひとつだと思っている。

イスタンブールではみんな路上喫煙をしていた。歩き煙草も普通にしているし、道に等間隔に灰皿がある。みんな道にポイ捨てしていたけどね。ヨーロッパ諸国と同じように、室内は全面禁煙だが屋外はほとんど規制なしといった様子。

 

夜は水タバコ。半屋外の店。かなり繁盛していた。

 

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日本とは違って、注文して5分ほどでもう吸えた。常に炭を焼き続けているからだろう。また値段に関しても、日本だと、ソフトドリンク飲み放題付きで、1台1500円ぐらいだが、イスタンブールでは、甘くて美味いアップルティーを3杯ぐらい飲んで700円ほどだった。3杯ぐらいというのは、会計が自己申告制で、そのことを知らずにガバガバと飲んでいたので結局何杯飲んだのかが不明だからだ。

 

Muratti Rossoという煙草も買って吸ってみる。基本はラキストのような味だが、後味にいわゆる煙草葉の甘味のようなものを感じられて旨い。トルコの煙草は色の名前が付いていて、それで種類展開してるっぽい。Murattiも他にはBlueがあった。

 

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カッパドキア洞窟ホテルにて。

 

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パッケージはもっとエグい写真のものもあったが、今のところそこまで酷くない写真のものを買っている。空港では、詰め替え用の紙ケース(あるいは、ボックスに被せるケース)が売られていて、なるほど喫煙者の知恵を感じた。そういえば、トルコで売られている煙草はすべてボックスタイプな気がする。

 

カッパドキアのハイテンションアメリカ人に「日本の煙草ある?」と聞かれて「ない」と答えたら残念そうにしていたので、海外旅行の際は、日本の煙草を持っていくと現地の喫煙者と仲良くなれるかもしれない。煙草はコミュニケーションの手段でもあるのだから。

 

ということで、禁煙日記は今回で終わり。煙草はやっぱり旨い。

禁煙日記 18日目(2回目)

 

恋人は眠りながら会話ができる。恋人と一緒に眠ると、かならずぼくの目が先に覚める。すると恋人は目を開けないままぼくが起きたことに気がつくようで、その日に見た夢の話をしはじめる。たとえば、トロンボーンと大根が同時に空から降ってくる夢。トロンボーンを受け止めたら、大根が地面で砕け散ってしまったことを泣きながら話してくれた。実際は、もっと支離滅裂な会話からはじまる。

トロンボーン選んじゃった......」

「他には何があったの?」

「大根」

そして、質問を繰り返すことで徐々にそれらが空から降ってきたことなどが分かるのだ。

 

ある日の朝、恋人は眠りながら泣いていた。夢のなかでぼくが先に死んでしまったので寂しく、悲しくなったらしい。あまりにも悲しげに泣くのでぼくは

「大丈夫。Kさんより先には絶対死なないよ」

と言った。

すると恋人が、ほんとに? ほんとに? と尋ねてくるので、何の保証もないしその気もないけれども、とりあえず今の悲しみを和らげたい一心で、ほんとだよ、ほんとだよ、と繰り返した。恋人は徐々に泣き止んで笑顔になった。

「わたし、死んだらいちばん偉くない天使になるの。使いっ走りの天使」

「使いっ走りの天使?」

「死んだ人を真っ先に迎えにいく天使なの! 死んじゃったら西村くんと会えなくなっちゃうの、寂しいの。だから使いっ走りの天使になるの! そしたら、死んだ西村くんと天国でいちばん早く、誰よりも先に会えるでしょ! 西村くんが死んだらすぐに迎えに行くからね」

 


ぼくが恋人より先に死のうが後に死のうが、どちらにせよ寂しくなっていることにツッコミを入れるのは野暮だろう。ぼくは恋人を寂しくさせたくないが、どちらにしても寂しくさせてしまうようだ。それなら天使になった恋人に迎えに来てもらう方がいい。だから少なくとも恋人よりは長く生きたい。そのために禁煙を続けるというのも悪くはないなと思いはじめている。

禁煙日記 15日目〜17日目(2回目)

 

ぼくはたしかに喫煙者ではあるが、煙草に健康的な要素があるとはまったく思っておらず、全面的に身体に悪いと分かったうえで吸っていた。

 

ところが、以前煙草屋で『ケムリエ』という煙草に関する無料の情報誌をもらって読んでみると、そのなかで医者が「喫煙すると認知症になりにくい」と言っていた。認知症にだけはなりたくないと常日頃から思っていたぼくには朗報である。

 

ちょっと待った。「百害あって一利なし」と言われる煙草にそのような効果が本当にあるのだろうか。疑問に思って調べてみると答えは意外かつ呆気ないものであった。

その答えとは、「煙草を吸うと認知症を発症する前に死ぬので、結果として喫煙者に認知症発症者が少なくなる」というものであった。なるほど、言われてみればもっともなことだ。しかし、認知症をはじめ、金銭面や肉体的老化によって苦しむ前に死んでしまいたいと思っているぼくにしてみれば、それもそれで良いのではないかと思ってみたりもするのだ。これは若さゆえの浅はかさであろうか。

 

要するにいつかは、人生からなお期待しうる肉体的快楽の総量が、苦痛の総量を下回るときがくる

 

ミシェル・ウエルベック素粒子野崎歓訳、ちくま文庫、338-339頁)

 

死でさえもが、体の機能を失って生きることほどむごくないと思える

 

(同書、339頁)

 

禁煙日記 14日目(2回目)

 

あのですね。喫煙したいという気持ちがあまり湧かないのです。おそらくですが、禁煙の誓いを破ってまで吸ったアメスピオレンジが然程おいしく感ぜられなかったからだと思われます。あと数日で禁煙を終えることができるという時分になった今、このように喫煙欲が薄れるとはなんたる喜劇。否、悲劇。禁煙を成功させたい方は2週間ほど禁煙したのちに、タール値の低い煙草を1本吸ってみるといい。煙草の旨みよりも罪悪感の方が勝れば、その後の禁煙は上手くゆくでしょう。なるほど、1mgの煙草なぞ何のために存在するのかと常々疑問でありましたが、禁煙するためでしたか。

 

そうそう、軽い煙草といえば、宮部みゆきの『模倣犯』を思い出します。小学校高学年のときに読み、非常な衝撃を受けた覚えがあります。おそらく生まれてはじめて読んだ胸糞小説でした。世の中には絶対悪というものがあるということを知りました。また、物事には「裏」があるということもこの小説から学びました。軽い煙草を吸っている人を見かけると、登場人物のひとりを思い出して涙目になってしまいます。以前間違えて軽い煙草を買ってしまったときは違う意味で涙目になりました。

 

模倣犯 (上)

模倣犯 (上)

 

読み終わったあと、この表紙と同じ体勢でしばらく虚空を眺めた記憶があります。

 

禁煙日記 13日目(2回目)

 

退院した。3年前に手術したときよりも楽ではあるが、それでもやはり腕が上がらないのと上半身を曲げられないのとで辛い。あと点滴の針をさしていた左手の甲が腫れていて左手が使えない。

 

前にも書いたかもしれないが、胸に入っていたチタン棒を抜く手術を今回したのだ。鏡で見てみるとどうも胸が薄くなったような気がする。チタン棒で胸骨を外側に押していたのだが、その反動で胸骨が内側に戻っているのではないかと思えてしまう。朝起きたら胸がへしゃげているとか嫌ですよ、先生。ちなみにこれが3年間ぼくの胸に入っていたチタン棒です。

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あらためて見るとデカいな。

禁煙日記 12日目(2回目)

 

生きとるわ。しかし何やら胸部がぴちゃぴちゃ鳴いており、気持ち悪いのだが、医者は満足げに頷いて帰ってしまった。

胸にさらしを巻いている。さらしを巻くのは生まれてはじめてだ。さらしの下部が胃に被っており、久しぶりの飯に膨らんだ腹が痛い。