共通テスト2022国語現代文の解き方

あくまで自分はこう考えた、ということであってこの解き方が絶対正しいというわけではないです。あと、間違っている可能性もあるので、何かお気づきの点があればコメントなどでお知らせしていただけると非常に助かります。

問題と解答は朝日新聞デジタルに掲載のものを利用しました。

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第1問(檜垣立哉『食べることの哲学』と藤原辰史『食べるとはどういうことか』)

問2
まずは傍線部に「ここから」と「つぎのように」という言葉があることに注目し、この問題に解答するためには、傍線部の前と後のどちらにも目を向けなければならないということを把握する。またその結果、選択肢の前半が傍線部の前、後半が傍線部の後と対応しているのではないかと予想を立てる(あるいは選択肢を先に見てから本文を読む手法を取っているなら、選択肢の「よだかは、」以下の部分に読点がひとつだけあることに注目し、選択肢がふたつの要素から構成されていてそのふたつを本文から拾ってくればいいと予想を立てる。以下同様)。


傍線部の前を見れば、「だがどうして自分は羽虫を「食べる」のか。なぜ自分のような存在が、劣等感をもちながらも、他の生き物を食べて生きていくのか、それがよいことかどうかがわからない」と書かれている。すなわち「よだか」は、自分が他の生物を食べて生きていくことに正当性があるのかどうか分からない(=悩んでいる)。


傍線部の後を見れば、「自分は何も食べず絶食し、空の彼方へ消えてしまおう」という風に「よだか」の考えの「転変」(=展開)が示されている。


これらふたつに適する選択肢①が正解。「〜苦悩し」までが傍線部の前、それ以降が傍線部の後に対応している。


おそらく選択肢⑤と迷った人が多いのではないかと思われるが、第一に⑤には生きることに関する記述がない。第二に、この設問はあくまでも「よだかの思考の展開」が問われているのであり、「よだか」が(本文末で示唆されているように)結果として「数億年数兆年彼方の星に、自らを変容させ」たとしても、そのことを「よだか」が思考(あるいは志向)したと本文から読み取ることはできない。


ポイントは、傍線部前後の引用に目を向けないことである。というのも、ここで問われているのはあくまでも、「筆者はよだかの思考の展開をどのように捉えている(と問題作成者が考えているか)」であり、解答者がわざわざ引用部を読解する必要はないからだ。

 

問3
まずは傍線が一文の途中から引かれているので、その傍線を上に伸ばし、「それは、〜」からの一文全部を傍線部だと捉える。そうすると、この設問は「それ」の内容を尋ねていると予想できる。


「それ」が直接指しているのは、前文の「心がキズついたよだかが、それでもなお羽虫を食べるという行為を無意識のうちになしていることに気がつき「せなかがぞっとした」「思ひ」をもつ」である。この設問で本当に問われているのは、この部分の内容把握である。そして内容把握のためには、本文中で同じ表現が使われている箇所に目を向けるのが鉄則だ。そうすると2段落前の末に同様の表現が見つかる。そこでその段落を見てみると、よだかの「せなかがぞっと」するまでの流れが説明されている。すなわち、自分が生きていることへの疑問→自分が無意識に羽虫や甲虫を食べていたという気づき→「せなかがぞっとした」「思ひ」、という流れである。つまり、「それ」というのは、①心が傷つき自分が生きることに正当性を見出せないよだかが、②それでも無意識に食べることをしていたということに気づき、③ぞっとする、という経験である。


これら3つの要素が全て含まれている選択肢②が正解。選択肢のふたつの読点で区切られた3つの部分に、最初から順に先述の流れ①②③が当てはまる。選択肢②内の「自己に対する強烈な違和感」は「自己矛盾」と言い換えれば、先述の流れ①と②のあいだに矛盾がある点と合致する(「感じつつも」や「それでもなお」という表現に注目)。


おそらく選択肢④と迷った人が多いのではないかと思われる。その原因は、「ぞっとした」という表現から「罪の自覚」に発想が飛んだからだと予想される。罪の意識の話が本文でなされていないので間違いだと言えばそれまでだが、④を選んでしまった人は、おそらく傍線部の前文にしか目が向いておらず、そこからさらに同表現が用いられている箇所を見つけて参照するということができていなかったのではないかと考えられる。後者の箇所に目を向ければ、上述の説明通り、よだかが自分の生に疑問を抱いていることが重要だということが分かり、選択肢④の3つの部分のうち、ひとつ目の部分が適当ではないと判断できる。あるいは問2に解答する中で、筆者の関心はよだかが虐げられていることではなく、自らの生に疑問を感じていることだと問題作成者がみなしているということを把握できていれば、選択肢④が論点のズレた選択肢だと気がつけるだろう。


ポイントのひとつ目は、何を問われているかを正確に把握することである。たとえば本設問では、傍線部の前文の内容把握を求められている。ポイントのふたつ目は、同一の単語や表現を手がかりに、内容把握をしたい箇所と関連する文章を本文中から見つけるということである。たとえば本設問では、上でも述べたが、「それ」が傍線部の前文だと気がついただけで止まってしまうと、生きることへの疑問が重要であるということを見逃してしまう。また、手がかりなしに全文を読み返すことは時間の無駄である。

 

問4
これは簡単。「一つ目」の段落と「二つ目」の段落を見比べると、共通の語彙が「通過」と「循環」であることが分かる。そして、その「循環」が「二つ目」の段落で「バトンリレー」に例えられていることに気がつけばいい。


「循環」=「バトンリレー」を「命の受け渡し」と言い換えている選択肢②が正解。


一応他の選択肢を見ておくと、「一つ目」の段落で「微生物」「消化」の話がなされていないので①③⑤は不適当。どちらの段落でも「人間」の生死の話をしていないので④は不適当。とはいえ、消去法で解くような問題ではない。

 

問5
これは消去法で解けばよいだろう。


①    心情は書かれていない。絶対不適当。
②    選択肢中の「比喩的」と「厳密」が両立不可能。絶対不適当。
③    擬態語は用いられているがふたつだけである(「ドロドロ」「くねくね」)。また「特殊な仕組み」というのが何と比較して「特殊」なのかが不明。多分不適当。
④    比喩は「多用」されていると言ってよいかもしれない。たしかに「生きものが他の生物の栄養になるまでの流れ」が説明されているし、その仕方が軽妙だと言ってもいいかもしれない。多分適当。
⑤    生きものも物質では? また、「誇張」と「鮮明」の相性が悪い。多分不適当。


以上より、いちばん適当度が高そうな選択肢④が正解。

 

問6
(i)文章Ⅰにおいて、食べることが生きることと関わっていたことを思い返せばいい。


選択肢②が正解。

 

(ii)この設問の選択肢は、ひとつ目の文の前半で文章Ⅰについて言及し、後半で文章Ⅱに基づいて解釈を加えている。そしてふたつ目の文では、それを踏まえて「Mさん」の推論が述べられている。このことを踏まえて消去法で解く。


①    「食べる」ことの話なので、「自他の生を昇華させる行為」に言及しているのがおかしい。絶対不適当。
②    ひとつ目の文の後半がおかしい。文章Ⅱにおける「食べてなどいない」とは「食事行為をしない」ということではない。絶対不適当。
③    ひとつ目の文では要するに、食べることには生命の「循環」という「意味」(=「役割」「機能」)があると述べられている。これは文章Ⅱの主張と合致する。ふたつ目の文は、無意識に食べてしまうのは生命に「生きることへの衝動」があるからだとした上で、それは「循環」の単なる一条件ではなく必須条件であると述べている。多分適当。
④    文章Ⅱに「序列」の話はない。また、文章Ⅰは「食物連鎖」の話に主眼を置いていない。絶対不適当。


以上より、選択肢③が正解。これは正解の選択肢以外が絶対に不適当なので、選択肢③を読み解けなくても正解することはできるだろう。この設問は一見、推論の妥当性を問う問題に見えるが、実は間違いの選択肢における推論の根拠となる部分や主題の捉え方に明白な誤りが含まれており、そこに気がつけばよいという問題である。わざわざ、推論の妥当性を検討するなどという難易度の高いことをしなくてもいいのである。

 

 


第2問(黒井千次「庭の男」)

問1
行動の要因(=原因)を問われているので、その行動に至るまでの「私」の心情に注目すればよいと分かる。

 

まずは傍線部を分析して、「私」の行動を正確に掴む。そのようにして「私」の行動を要素に分けると、「ほとんど無意識のように」「彼(=隣の少年)の前に立っ」たというふたつの要素から「私」の行動が構成されていることが分かる。つまり問われているのは、なぜ隣の少年の前に立ったのか、と、なぜそれが「無意識」に行われたのか、である。

 

その観点から傍線部より前の部分を見返せば、「私」はどのように隣の少年に看板をどかすように頼むべきか分からず(第1段落)、しかし看板のせいで落ち着けない(第2段落)のでどうにかしてほしいが、かといって少年の親に頼むのもフェアではないと考えている(第3段落)ことが分かる。つまり、隣の少年の前に立ったのは、看板について直接隣の少年に頼むべきだと「私」が考えていたからであり、それが無意識のうちに行われたとは、まだどのようにすべきか思いついていないにもかかわらずそのような行動をしてしまったということである。


前者が選択肢②、後者が選択肢⑥に当てはまる。


選択肢④の内容はたしかに本文中に書かれているが、「安心できなかった」という理由は、意識的に隣の少年に頼んだり、あるいは直接隣の少年に頼まずに親に連絡したりするという行動に帰結する可能性がある。それとは違う行動をなぜ無意識のうちにしてしまったのかを問うこの設問の解答としては不適当である。
ポイントは、傍線部を分析してふたつの要素を引っ張り出すこと。

 

問2
傍線部の後が、「厭な痛み」を和らげる方向に展開しているので、ここではまず傍線部の前を見る。すると「一応は礼を尽して頼んでいるつもりだったのだから、中学生の餓鬼にそれを無視され、罵られたのは身に応えた」と書かれており、無視されたことと罵られたことが「厭な痛み」の原因だと分かる。


このふたつが唯一どちらも含まれている選択肢①が正解。「存在が根底から否定されたように感じた」は言い過ぎのように感じるかもしれないが、傍線部の2行後で「しかしそれなら、彼は面を上げて私の申し入れを拒絶すればよかったのだ」と「私」が考えていることから、「私」にとっては無視されたことが不快感のいちばんの要因であると分かり、無視とは存在の否定だと考えれば、積極的に不適当だとは言えない。


おそらく選択肢②を選んだ人が多いと思われるが、少年の言葉「ジジイ——」を「批判」と捉えることは難しい(実際、傍線部の4行後に「罵言」と書かれている)。

 

問3
心情を問われているので、まずはその心情の要因となった行動あるいは状況を把握する。①まず、「私」は唐突に看板のところに向かう。②次に、看板の素材が特殊でかつ厳重に固定されていることに気がつく。③最後に、隣の少年に覚悟があると認めてやりたい気持ちになっている。以上の②と③が含まれている選択肢③が正解と予想される。


消去法的には、


①    「私」が何らかの決意をしたという描写はない。絶対不適当。
②    「認める」に応援するというような意味はない。加えて、選択肢内に「私」の心情の原因が書かれていない。絶対不適当。
③    「認める」には存在を確認するという意味と受け入れるという意味がある。少年に覚悟が存在することを「確認」し、その覚悟を「受け止める」という風に傍線部を言い換えることは不可能ではない。多分適当。
④    選択肢内で少年の「覚悟」について触れられていない。絶対不適当。
⑤    「認めてやりたい」といういわば上から目線な表現から悔やむ心情を読み取ることは難しい。多分不適当。


よって、選択肢③が正解。


ポイントは、心情を問う問題の正解の選択肢には、なぜその心情に達したのかという原因が含まれている場合がほとんどであること。ゆえに、心情を問われた際にはその心情に至るまでの行動や状況を把握することが重要である。

 

問4
(i)消去法で解けばよい。


①    20ページで隣の少年に対して「馬鹿奴」と述べており、親しみを感じているとは言えない。絶対不適当。
②    20ページ5行目に「一応は礼を尽して頼んでいるつもり」と書いてあり、「君」という呼び方が礼儀に基づくものだと推測できる。また、20ページ末から4行目に「怒り」と書いてあり、「餓鬼」という呼び方が怒りに基づくものだと推測することは不可能ではない。多分適当。
③    「餓鬼」という呼び方の付近に少年の外見に対する言及はない。多分不適当。
④    若さを羨む描写はない。絶対不適当。
⑤    「裏の家の息子」という呼び方は妻によるものである。絶対不適当。


したがって、選択肢②が正解。

 

(ii)消去法で解けばよい。


①    根拠部に不適当な部分はなく、「余裕をなくして表現の一貫性を失った」という推論も妥当に思える。多分適当。
②    「あのオジサン」と敬意は結びつかない。絶対不適当。
③    妻に対して看板を「案山子」と呼んだという描写はない。絶対不適当。
④    第3段落から、「私」が看板を人間のように意識していることを他人には隠したいと考えていることが分かる。多分不適当。


したがって選択肢①が正解。

 

問5
(i)窓から見える看板を「私」が恐れていることは説明の必要がないだろう。近くで見た看板に対する「私」の反応は二重傍線部の2行前に「そんなただの板」と書かれており、恐怖は消失している。したがって前者には、実際に案山子が雀を脅しているアとaが当てはまる。後者には、案山子の脅威が消失しているイとbまたはcが当てはまる。


したがって、選択肢①が正解。(エ)はアとcの組み合わせなので不適当。

 

(ii) 設問に「【ノート】を踏まえて」と書かれているので、上記のアaからイbへの変化に注目する。すると、選択肢④と⑤が残る。選択肢④は変化の原因を「暗闇に紛れて近づいたこと」としているが、「暗闇」でなければこの変化が起こらなかったと考えることは難しく、余計な言葉に思える。


したがって選択肢⑤が正解。