禁煙日記 15日目〜17日目(2回目)

 

ぼくはたしかに喫煙者ではあるが、煙草に健康的な要素があるとはまったく思っておらず、全面的に身体に悪いと分かったうえで吸っていた。

 

ところが、以前煙草屋で『ケムリエ』という煙草に関する無料の情報誌をもらって読んでみると、そのなかで医者が「喫煙すると認知症になりにくい」と言っていた。認知症にだけはなりたくないと常日頃から思っていたぼくには朗報である。

 

ちょっと待った。「百害あって一利なし」と言われる煙草にそのような効果が本当にあるのだろうか。疑問に思って調べてみると答えは意外かつ呆気ないものであった。

その答えとは、「煙草を吸うと認知症を発症する前に死ぬので、結果として喫煙者に認知症発症者が少なくなる」というものであった。なるほど、言われてみればもっともなことだ。しかし、認知症をはじめ、金銭面や肉体的老化によって苦しむ前に死んでしまいたいと思っているぼくにしてみれば、それもそれで良いのではないかと思ってみたりもするのだ。これは若さゆえの浅はかさであろうか。

 

要するにいつかは、人生からなお期待しうる肉体的快楽の総量が、苦痛の総量を下回るときがくる

 

ミシェル・ウエルベック素粒子野崎歓訳、ちくま文庫、338-339頁)

 

死でさえもが、体の機能を失って生きることほどむごくないと思える

 

(同書、339頁)