恋人の即興話:題「刺身一家、海に行く」

 このまえ恋人と海水浴をしたあと、居酒屋で刺身を食べているときに「刺身というお題で即興話をしてください」と頼んだら、恋人が10秒ぐらい考えたあとにしてくれた即興話を記憶をかぎりに文字起こししてみたものが以下に書かれる物語です。

 

 

 むかしむかしあるところに刺身の家族がいました。父と母と息子の3人家族でした。

「夏らしいことがしたいよ〜!」

 夏休みが終わりに近づくなか、刺身の息子がおおきな声で言いました。刺身のお父さんとお母さんは顔を見合わせました。お父さんはずっと仕事をしていて、今日はひさしぶりの休日でした。

「たしかにどこかに行きたいね」

 刺身のお母さんが言いました。

「じゃあ海に行ってみるか」

 刺身のお父さんは言いました。

「海!? やったー!!!」

 刺身の息子はとてもよろこびました。なぜなら海に行ったことがなかったからです。

「海だ!!! でもぼく泳げるかな……?」

 刺身の息子は不安げな様子です。

「大丈夫。お父さんが教えてあげるよ。お父さんはこう見えても刺身になるまえはいくつもの海を渡り泳いでいたんだ。なあ母さん」

「そうよ。サメに襲われたときに一目散に逃げていくお父さんの姿にわたしは惚れてしまったのよ。あれは格好良かったわねぇ……それからいろんな海を一緒に旅したわね……いつもわたしを危険から守ってくれて」

「よしてくれよ母さん。照れるだろう」

「も〜〜〜惚気話はいいからさ! はやく海に行こうよ!」

 刺身の息子の一声で一家は海に行く用意を始め、海に向けて出発しました。

 刺身の一家が海に着きました。

「お父さんたちは砂浜にパラソルを立てて場所取りをしとくから、先に水際に行って水に慣れときなさい」

 刺身のお父さんが息子に言いました。息子は「わかった!」と言って一目散に海に向かって駆けていきました。

「ひとりで行かせて大丈夫?」

 刺身のお母さんが不安げに尋ねました。

「大丈夫さ。あいつももう一人前の刺身だよ」

 刺身のお父さんは答えました。

 刺身のお父さんとお母さんがパラソルを立てていると、水辺の方が騒がしくなってきました。

「なんだなんだ」

 刺身のお父さんがその方向に注意を向けると声が聞こえてきました。

「溺れている子がいるぞ! どんどん沖に流されてる!」

 刺身のお父さんが「まさか!」と思って海の方へ視線を向けると、刺身の息子の頭が沖の方で水面から出たり入ったりしているのが目に入りました。

「大変だ! 息子が溺れてる!」

 そう叫んだ刺身のお父さんは一目散に海に駆け寄り飛び込みました。全力を振り絞って前へ前へ、息子の方へと泳いでいきました。俺はいくつもの海を渡り泳いで、サメからも逃げ切った男だぞ! 自分を鼓舞して息子の方へ泳いでいく刺身のお父さん。しかし、次第に体が痺れてきました。

「う、塩水が体にしみる……なんでだ! 昔はこんなんじゃなかっただろ!」

 段々と体が動かなくなっていく刺身のお父さん。その姿を浜辺から見ていたお母さんはいてもたってもいられなくなって海に飛び込んで泳ぎはじめました。

 その翌日、新聞には今年も海難事故が多発していることを警告する記事が載りました。

 

おわり