禁煙日記 最終日

 

喫煙を再開した。トルコで。

 

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ヨーロッパ諸国と同じく、個性を奪われた姿で煙草たちは売られていた。


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Tekel 2000 Maviとかいう、日本では聞いたことのない煙草を現地で買って吸ってみる。パーラメントのフィルターのようないわゆる「リセスド・フィルター」の形式が取られていた。味は粗挽きしたキャメル、みたいな。かなり重めの煙草で、久しぶりだったこともあり、ガツンと来た。煙を吸う勢いやペースを調節することで、心地よい酸欠状態を発生させる。それが喫煙の醍醐味のひとつだと思っている。

イスタンブールではみんな路上喫煙をしていた。歩き煙草も普通にしているし、道に等間隔に灰皿がある。みんな道にポイ捨てしていたけどね。ヨーロッパ諸国と同じように、室内は全面禁煙だが屋外はほとんど規制なしといった様子。

 

夜は水タバコ。半屋外の店。かなり繁盛していた。

 

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日本とは違って、注文して5分ほどでもう吸えた。常に炭を焼き続けているからだろう。また値段に関しても、日本だと、ソフトドリンク飲み放題付きで、1台1500円ぐらいだが、イスタンブールでは、甘くて美味いアップルティーを3杯ぐらい飲んで700円ほどだった。3杯ぐらいというのは、会計が自己申告制で、そのことを知らずにガバガバと飲んでいたので結局何杯飲んだのかが不明だからだ。

 

Muratti Rossoという煙草も買って吸ってみる。基本はラキストのような味だが、後味にいわゆる煙草葉の甘味のようなものを感じられて旨い。トルコの煙草は色の名前が付いていて、それで種類展開してるっぽい。Murattiも他にはBlueがあった。

 

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カッパドキア洞窟ホテルにて。

 

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パッケージはもっとエグい写真のものもあったが、今のところそこまで酷くない写真のものを買っている。空港では、詰め替え用の紙ケース(あるいは、ボックスに被せるケース)が売られていて、なるほど喫煙者の知恵を感じた。そういえば、トルコで売られている煙草はすべてボックスタイプな気がする。

 

カッパドキアのハイテンションアメリカ人に「日本の煙草ある?」と聞かれて「ない」と答えたら残念そうにしていたので、海外旅行の際は、日本の煙草を持っていくと現地の喫煙者と仲良くなれるかもしれない。煙草はコミュニケーションの手段でもあるのだから。

 

ということで、禁煙日記は今回で終わり。煙草はやっぱり旨い。

禁煙日記 18日目(2回目)

 

恋人は眠りながら会話ができる。恋人と一緒に眠ると、かならずぼくの目が先に覚める。すると恋人は目を開けないままぼくが起きたことに気がつくようで、その日に見た夢の話をしはじめる。たとえば、トロンボーンと大根が同時に空から降ってくる夢。トロンボーンを受け止めたら、大根が地面で砕け散ってしまったことを泣きながら話してくれた。実際は、もっと支離滅裂な会話からはじまる。

トロンボーン選んじゃった......」

「他には何があったの?」

「大根」

そして、質問を繰り返すことで徐々にそれらが空から降ってきたことなどが分かるのだ。

 

ある日の朝、恋人は眠りながら泣いていた。夢のなかでぼくが先に死んでしまったので寂しく、悲しくなったらしい。あまりにも悲しげに泣くのでぼくは

「大丈夫。Kさんより先には絶対死なないよ」

と言った。

すると恋人が、ほんとに? ほんとに? と尋ねてくるので、何の保証もないしその気もないけれども、とりあえず今の悲しみを和らげたい一心で、ほんとだよ、ほんとだよ、と繰り返した。恋人は徐々に泣き止んで笑顔になった。

「わたし、死んだらいちばん偉くない天使になるの。使いっ走りの天使」

「使いっ走りの天使?」

「死んだ人を真っ先に迎えにいく天使なの! 死んじゃったら西村くんと会えなくなっちゃうの、寂しいの。だから使いっ走りの天使になるの! そしたら、死んだ西村くんと天国でいちばん早く、誰よりも先に会えるでしょ! 西村くんが死んだらすぐに迎えに行くからね」

 


ぼくが恋人より先に死のうが後に死のうが、どちらにせよ寂しくなっていることにツッコミを入れるのは野暮だろう。ぼくは恋人を寂しくさせたくないが、どちらにしても寂しくさせてしまうようだ。それなら天使になった恋人に迎えに来てもらう方がいい。だから少なくとも恋人よりは長く生きたい。そのために禁煙を続けるというのも悪くはないなと思いはじめている。

禁煙日記 15日目〜17日目(2回目)

 

ぼくはたしかに喫煙者ではあるが、煙草に健康的な要素があるとはまったく思っておらず、全面的に身体に悪いと分かったうえで吸っていた。

 

ところが、以前煙草屋で『ケムリエ』という煙草に関する無料の情報誌をもらって読んでみると、そのなかで医者が「喫煙すると認知症になりにくい」と言っていた。認知症にだけはなりたくないと常日頃から思っていたぼくには朗報である。

 

ちょっと待った。「百害あって一利なし」と言われる煙草にそのような効果が本当にあるのだろうか。疑問に思って調べてみると答えは意外かつ呆気ないものであった。

その答えとは、「煙草を吸うと認知症を発症する前に死ぬので、結果として喫煙者に認知症発症者が少なくなる」というものであった。なるほど、言われてみればもっともなことだ。しかし、認知症をはじめ、金銭面や肉体的老化によって苦しむ前に死んでしまいたいと思っているぼくにしてみれば、それもそれで良いのではないかと思ってみたりもするのだ。これは若さゆえの浅はかさであろうか。

 

要するにいつかは、人生からなお期待しうる肉体的快楽の総量が、苦痛の総量を下回るときがくる

 

ミシェル・ウエルベック素粒子野崎歓訳、ちくま文庫、338-339頁)

 

死でさえもが、体の機能を失って生きることほどむごくないと思える

 

(同書、339頁)

 

禁煙日記 14日目(2回目)

 

あのですね。喫煙したいという気持ちがあまり湧かないのです。おそらくですが、禁煙の誓いを破ってまで吸ったアメスピオレンジが然程おいしく感ぜられなかったからだと思われます。あと数日で禁煙を終えることができるという時分になった今、このように喫煙欲が薄れるとはなんたる喜劇。否、悲劇。禁煙を成功させたい方は2週間ほど禁煙したのちに、タール値の低い煙草を1本吸ってみるといい。煙草の旨みよりも罪悪感の方が勝れば、その後の禁煙は上手くゆくでしょう。なるほど、1mgの煙草なぞ何のために存在するのかと常々疑問でありましたが、禁煙するためでしたか。

 

そうそう、軽い煙草といえば、宮部みゆきの『模倣犯』を思い出します。小学校高学年のときに読み、非常な衝撃を受けた覚えがあります。おそらく生まれてはじめて読んだ胸糞小説でした。世の中には絶対悪というものがあるということを知りました。また、物事には「裏」があるということもこの小説から学びました。軽い煙草を吸っている人を見かけると、登場人物のひとりを思い出して涙目になってしまいます。以前間違えて軽い煙草を買ってしまったときは違う意味で涙目になりました。

 

模倣犯 (上)

模倣犯 (上)

 

読み終わったあと、この表紙と同じ体勢でしばらく虚空を眺めた記憶があります。

 

禁煙日記 13日目(2回目)

 

退院した。3年前に手術したときよりも楽ではあるが、それでもやはり腕が上がらないのと上半身を曲げられないのとで辛い。あと点滴の針をさしていた左手の甲が腫れていて左手が使えない。

 

前にも書いたかもしれないが、胸に入っていたチタン棒を抜く手術を今回したのだ。鏡で見てみるとどうも胸が薄くなったような気がする。チタン棒で胸骨を外側に押していたのだが、その反動で胸骨が内側に戻っているのではないかと思えてしまう。朝起きたら胸がへしゃげているとか嫌ですよ、先生。ちなみにこれが3年間ぼくの胸に入っていたチタン棒です。

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あらためて見るとデカいな。

禁煙日記 12日目(2回目)

 

生きとるわ。しかし何やら胸部がぴちゃぴちゃ鳴いており、気持ち悪いのだが、医者は満足げに頷いて帰ってしまった。

胸にさらしを巻いている。さらしを巻くのは生まれてはじめてだ。さらしの下部が胃に被っており、久しぶりの飯に膨らんだ腹が痛い。

禁煙日記 11日目(2回目)

 

届かないところにいればいるほどに白さが重い体感温度

 

明日は手術です。万が一死ねばこれが最後のブログ更新ですが、万が九九九九死なないらしいので、また会いましょう。

 

昨日も告知しましたが、ぼくが作詞した楽曲のMVがYouTubeで公開されたので、聴いてください。ブコメで感想をくれた方、ありがとうございます。

https://youtu.be/TvNjrsiOWDo