補遺:ウエルベックにおける悲観主義という戦略と可能性の感受

先日、『人文×社会』という電子雑誌の創刊号に論文を載せていただいたのですが、書き落としたことや掲載後に思いついたことなどがあったので補遺という形でここに書きたいと思います。

 

jinbunxshakai.org

ぼくの論文はこちらから読めます。『「言い表しえぬもの」としての愛の理想――ミシェル・ウエルベックの小説における理想の不描写をめぐる試論』という題目です。

 

まず、書き落とした点。

p.222でウエルベックが自身の悲観主義を楽観主義からの脱却を促すためのものだと認識していることを示したが、ウエルベックが楽観主義を否定し、悲観主義を肯定する文章には、« Jacques Prévert est un con »*1もある。ウエルベックはフランスの国民的詩人ジャック・プレヴェールを「馬鹿」imbécile と呼ぶ。それは、プレヴェールが楽観的でリバタリアンだったからだ。楽観的であることは知性の欠如の結果と捉えられる。知性が欠如しているから自由主義の幻想に基づいてしか世界を見ることができない。ゆえに「馬鹿」なのである。

知性が良い詩を書くために役立つことは決してない。しかしそれは悪い詩を書くことを防いでくれる。ジャック・プレヴェールが下手な詩人であるのは、何よりもまず彼の世界観が平板で表面的で誤っているからだ。[…]哲学の面でも政治の面でも、ジャック・プレヴェールは何よりもまずリバタリアンである。言い換えるなら、完全に馬鹿である*2

逆にウエルベックによって評価されるのは、アルトーシオランボードレールマルクスである。ウエルベック曰く、マルクスの言うような「利己的な計算で凍った水」を、欲望の力を解放することで温められるとは到底考えられない。ウエルベックにとって、楽観主義とは自由を盲目的に信仰することであり、悲観主義こそが自由という幻想から逃れて現実を見つめるために必要な態度なのである。このように考えると、ウエルベック悲観主義は、Wesemael が言うような*3時代の病なのではなく、楽観主義に対抗するひとつの戦略なのだと言えるだろう。

 

次に、後から思いついた点(アイデア程度)。

拙論文の主張は、ウエルベックが理想の愛の存在可能性を読者にほのめかしているというものだった。論文中では、この「可能性」がなぜ重要なのかについて深く述べることができなかったので、ここで補足説明させていただく。その際、目をつけるべき小説は『ある島の可能性』だ。

この小説において、マリー23にそしてダニエル25に「住居を、習慣を、人生を捨てさせ」*4て新しいコミュニティを探す旅に向かわせたのは「ある島の可能性」であった。確かに、物語の途中からダニエル24や25は現状に疑問を抱くようにはなっていた。換言すれば、幻想から徐々に脱していった。しかし彼らが現状から脱するために何か行動を起こすことは物語の終盤までなかった。つまり「可能性」を感受してはじめて彼らは行動することができたのである。ここに「可能性」の重要性がある。行動を起こすためにはそれが必要不可欠なのである。

ただし注意しなければならないことは、その「可能性」が一元的な理想になってしまうことだ。このことに対するウエルベックの注意が、結局ダニエル25が新しいコミュニティに辿り着けないという結末をもたらしている。それは外部の消滅を強調し無力感を煽るバッドエンドではない。ウエルベックは自らに新しいコミュニティ=資本主義社会の代替物を描くことを禁じているがゆえの結末なのである。なぜなら、それは読者自身が幻想から抜け出して思い描かなければならないものだからだ。上述の話にここで戻れば、我々は代替物を思い描く前にまずは楽観主義から脱しなければならず、そのためにウエルベックが採用する手段が悲観主義なのだと言えるだろう。また、たとえ新しいコミュニティに辿り着けないとしても、「可能性」を感受し行動した結果として、ダニエル25は「愛」や「無限」を理解する。それらは行動しなければ理解することのなかったものだ。到達できなくともその過程でしか新たに理解できないことがあるのだ。

以上のことより、ウエルベックにとって「可能性」を感受することが重要であることが明らかになった。

 

*1:HOUELLEBECQ, Michel, Houellebecq. 2001-2010, Flammarion, « Mille&unepages », 2016, pp.833-838. 初出は1992年。

*2:Ibid., p.837.

*3:van Wesemael, S., 2019. Sérotonine de Michel Houellebecq : prédiction du destin tragique de la civilisation occidentale.  RELIEF - Revue Électronique de Littérature Française, 13(1), pp.54–66. 紹介記事を書いていますのでそちらを参照してください。

*4:ウエルベック, ミシェル(中村佳子訳)『ある島の可能性』、河出文庫、2016、p.473