禁煙日記 10日目

 

しんどい。いま辞書で調べたら「しんどい」は「しんど」という名詞・形容動詞を形容詞化したもので、その「しんど」というのは「心労」から転じたのではないかということだ。関西地方でよく用いられると書かれていたが、もしかして関東の人は「しんどい」と言わないのだろうか。

 

しんどさの直接の原因は禁煙ではなく1週間後に迫った院試に向けての勉強のせいだろう。朝から晩までひたすらフランス語と格闘しているが、これっぽっちも成長を感じないし、そもそも卒論執筆を終えてからの1ヶ月未満で何とかなると思っていたことが阿呆らしい。

 

外国語の勉強は昔から苦手で、絶対に大学では文学系には進まないぞと思っていたのに何の因果か仏文専修に進むことになり、講読の授業1コマの予習に毎週12時間程度費やす、を半期に3コマ分するような大学生活を送り、そしていま院試という壁の前でシクシクしている。肉体的にも精神的にもしんどい。

 

こんなときに煙草を吸えば、まず精神的なしんどさは確実に緩和される。それだけでも十分であるのだが、喫煙は実は肉体的なしんどさにも効果があるのだ。なぜなら、煙草を吸うと肉体が傷つくからであり、また「ヤニクラ」と呼ばれる一種の急性的な酸欠状態に陥るからだ。というのも、肉体がしんどいのは煙草を吸っているからだと思えば、そのしんどさには耐えられるのである。もし煙草を吸わなければこのしんどさは無くなるはずだ、しかし煙草は吸いたい、だからこのしんどさは受け入れてやろうじゃないか。そういうことである。そしてぼくはいま、禁煙している。

 

なぜこの、人生で最も煙草を必要とする期間のひとつにおいてぼくは煙草を吸ってはならないのだろうか。ぼくがいったい何をしたというのか。ああ煙草が吸いたい、吸いたいなあ。そこで、煙草が吸えないムシャクシャをブログのヘッダー画像をサバにすることで解消してみることにした。もちろん解消されなかった。

禁煙日記 9日目

 

ニキビができた。しかも耳のうえ、ちょうど眼鏡の蔓が触れる部分にできたのだ。眼鏡を掛けると痛い。煙草を吸うとニキビができるというならば、煙草を吸わなければニキビが減るという仕組みにしていただかないと困る。こっちはそういう期待も抱いて禁煙に勤しんでいるのだから。もしニキビが減ったら手術後も禁煙を続けようと思っていたがやめだやめだ。

 

ニキビとは長い付き合いで、物心がついたときからあるような気がするが、その真偽はともかくとしてニキビは常にぼくの敵であった。毎朝かつ毎晩、泡立てた洗顔クリームで顔を洗い、化粧水をペチペチしているのにそんなことはお構いなしとばかりにぼくの内側からニョキニョキと出てくるニキビの憎たらしさよ。

 

そんななか、高校生になったぼくはネットサーフィン中に気になる言説と出会った。マスターベーションをするとニキビが増える、逆にマスターベーションをしなければニキビが減る、というものである。なるほど、と思った。というのも、ぼくの性の目覚めは小学4年生のときに家の近くの用水路に捨てられていたエロ漫画を拾ったことであり、それ以来マスターベーションとは長いお付き合いだったからだ。たしかに言われてみれば、そのあたりからニキビができはじめたような気がする。ということは、マスターベーションをやめればニキビが無くなるのではないか。ぼくの胸は期待で膨らんだ。こうなったら物は試しである。さっそくその日からぼくはマスターベーションをやめた。そもそも性的に興奮してはならないということなので、エロコンテンツを忌避するようにした。

 

そして1ヶ月後、ぼくは驚いた。まったくニキビが減っていないのだ。それどころか新人が何人か鏡の向こうから手を振っている。何故だ。1ヶ月では効果はないのだろうか。およそ8年分のマスターベーションとはそれほどまでの重みを持つのか。ここで、さらに長い期間マスターベーションを禁止することもできたであろう。しかし、実はその1ヶ月のあいだにある問題が発生していたのだ。

 

夢精である。夢精とは寝ているあいだに何らかの原因で射精してしまう現象である。十数年生きてきてほとんど経験してこなかった夢精が、なんとその1ヶ月間で3回も発生したのだ。夢精が起こると何が困るのか。汚れた下着の処理に困るのである。高校生のぼくは実家暮らしだったので、朝に洗濯機で洗濯するという選択肢はなかった。母親にバレたくなかった。隠れて洗っても干す場所がない。だから、夜中に下着の汚れた部分だけを重点的に洗い、ドライヤーで乾かした。夜中の2時ごろに洗面台でひたすら下着を擦っていると虚しさと惨めさに押しつぶされそうになった。母親の睡眠が深いことだけが救いだった。

 

そういうわけで、ぼくはマスターベーションを再開した。ニキビは今日も元気にぼくの顔でピクニックしている。毎日の洪水にもへっちゃらなこいつらはきっと無神論者だろう。だから神は存在するのだということを見せつけなければならない。院試が終わったら今まで頑なに行くことを拒んでいた皮膚科に行くつもりだ。何故今まで頑なに拒んでいたかというと、単純に病院そして医者というものが総じて嫌いだからである。しかしそうも言っていられない。昨年ははじめて美容院に行った。今年をはじめて皮膚科に行った年にしてみるのも悪くないだろう。

 

今回まったく煙草に関係ないな。

禁煙日記 8日目

 

ニコチンもネタも切れた。そもそもどちらも初日から切れているが。

 

ネタといえば、バイト先の個別指導塾で高校2年生に古文を教えているときに「この『べし』の主語は一人称だから『意志』の用法で『オレはやるぞ〜』って感じだよ」と拳を振り上げながら言ったあとにその拳を目の前まで下ろしてきて「これは『石』」と言ったのだが高校2年生はまるで何事もなかったかのようにノートに「一人称のとき、意志」と書いていた。これが高校2年生ではなくぼくの恋人であれば「石というより岩じゃない?」と言ってきたであろうしそれに対して「ぼくは島根県大田市出身だから」と返せば「それだと岩よりハサミに近くない?」と言ってくるに違いないので「もう後戻りはできませんね」と返せば笑い合うぼくらがそこにいたはずである。恋人といるときにだけ下らない一発芸をしたり、いわゆる親父ギャグを言ったりするのだが、最近はバイト先の生徒に対してもそれが漏れ出てきてしまい、爆発事故がいまにも起こりそうである。どんなに馬鹿馬鹿しいことをしても笑ってくれる恋人に甘やかされているせいで、生徒たちからすれば徐々にしょうもないおっさんと化しはじめているような気がする。恋人にはぜひ笑いに厳しくなっていただきたいものである。

禁煙日記 7日目

 

1週間禁煙したのだからご褒美として喫煙してもいいはずだ。と思ったがまだ1週間禁煙したわけではないことに気がついたので喫煙せずに済んだ。

 

大学は期末試験の時期であり今日もひとつ試験があったわけだがウンウンと唸りながらもなんとか終わらせて外に出ても煙草が吸えないというのはなんと虚しいことか。期末試験なんていうものは煙草を旨くするためのものでしかなく、畢竟するに人生のあらゆる障害や困難というものは煙草を旨くするためだけに存在しているのだ。それらを乗り越えられたときの煙草は自らへの褒美であって旨い。乗り越えられなかったときの煙草は自らへの慰めであってこれまた旨い。煙草がなければ期末試験なんて資源ゴミの袋に入れられた生ゴミである。ゴミといえば、フランス語で「ゴミ箱」を意味する "poubelle" という名詞はそこから転じて最近では「ゴミ」のことも指すらしいが、そもそも "poubelle" とは19世紀末に県民たちにゴミ箱の使用を命じたSeine県知事 "Eugène Poubelle" という人の名前に由来しており、街の衛生状態向上に取り組んだ人の名前が今や「ゴミ」を意味しているというのはなんとも皮肉なことである。

 

最後に、今日の期末試験でおもしろかったことと昨日あった卒論試問に関する自分のツイートを載せておく。試問のあとも煙草を吸いたくて堪らなくなった。

 

 

 

禁煙日記 5日目〜6日目

 

5日目

 

ひさしぶりに恋人と会った。禁煙を始めたことを告げて「まだ5日目なんですけど」と付け加えると、「もう5日目なの!? すごい!」と言われた。そんなことを言う恋人は実は禁煙の先輩であり、服用している薬との兼ね合いで数ヶ月禁煙を続けている。恋人は、その薬の服用を続けるかぎりは禁煙をしつづけなければいけないわけであり、おそらくその服用は長く続くので、手術が終わればふたたび吸いはじめようと目論んでいるぼくなんかよりもずっと厳しい場所にいるわけだ。それにも関わらず、恋人が「煙草を吸いた〜い」と言っている姿を見たことがなかったので、特に困難なく禁煙できているのかと思っていた。しかし今回、禁煙の話題を出したところ、恋人も煙草を吸いたくなるときがあるということが分かった。それは「演者が喫煙している映画を観たあと」であった。やはり吸いたくなるものなのだ。フランス映画は良くないねという話をした。

 

そのような話を居酒屋でしていると、なにやら良いにおいがやってきた。となりの客がハイライト、愛しのハイライトを吸いはじめたのだ。ハイライトといえば『孤狼の血』であり、ぼくはそれを映画館で観てすぐにコンビニでハイライトを買った。それ以来、ハイライトは愛すべき銘柄のひとつである。そのハイライトのにおいが漂ってきてはもう降参するしかないわけであり、その客から1本譲ってもらうために財布から30円を取り出したわけだが、ちょうどその瞬間に恋人があらぬ方向に目をやりながら「禁煙できるなんてえらいなー」と唐突に言ったので、何やらすべてを見透かされているうえにたしなめられているような気がして結局は拳をぐっと握って堪えた。そんなわけで、5日目も禁煙成功である。ちなみに『孤狼の血』における松坂桃李の演技は実に素晴らしいので一見の価値がある。ぜひ。

 

 

6日目

 

恋人の家からぼくの通う大学までは徒歩でおよそ30分程度なのだが、その道を歩いていると沸々と怒りが湧いてきた。何にかというと、吸い殻のポイ捨てに、である。別に景観だとか環境の観点から怒るわけではない。禁煙中の人間の目に煙草を入れないでいただきたいのだ。箱はまだいい。しかし、吸い殻はよろしくない。今すぐ屈んで拾って咥えて吸いたくなってしまう。何故かよだれも出る。よだれといえば『謎の彼女X』だが、あれは名作中の名作であり、ぼくの人生の方向性を決めてしまった漫画でもあるのでぜひ読んでみてくださいな。

禁煙日記 4日目

 

夢を見た。何かに腰掛け、膝を立てながら煙草を吸っている自分の姿を少し斜め下から見た。いつもは夢の内容どころかそれを見たことすらもまったく覚えていないのだが、なぜ今回は頭に残っているのかといえば、この夢に元ネタがあるからだろう。『パラサイト 半地下の家族』でのそれは、黒色の液体が溢れ出る洋式便器の蓋のうえで煙草を吸うパク・ソダムだ。おそらく映画と煙草の話になれば後世に渡って語り継がれる名ショットであることは間違いないし、真似してみたいと思うのだが、いかんせん便器の水が勢いよく溢れ出る現場に居合わせることがあまりないので困っている。

『パラサイト』を観たあとはもちろん煙草を吸ったが、今朝の夢のあとに煙草はない。なんとも物悲しい。

 

この日記はまだ「4日目」であるが、禁煙日記というものがおもしろくあるためには、そこに禁煙で悶え苦しむ姿がなければならないのではないかと思いはじめた。順調に禁煙が続いても何もおもしろくないのではないか。しかし、ヘビースモーカーだったわけでもないので強烈な禁断症状に悩まされるということもないし(頭痛は続いているが)、あるのは慢性的な「喫煙欲」のみなので、禁煙で悶え苦しむということは今のところなさそうである。そして今日も禁煙継続成功ということになりそうだ。

禁煙日記 3日目

 

ここ数日は目覚まし時計の音で7時に目を開けるが、一度まばたきをすると8時半であるというような朝を過ごしていたが、今日は割方すっきりと目覚めた。もしかすると禁煙の効果なのだろうか。おそらくそんなことはなく、というのも、今までも1ヶ月に2、3日はすっきりと目覚めることができる日があったからで、今日は偶然その日だったのだろう。なぜたまにすっきりと目覚めることができる日があるのかは分からないが、遅寝早起きをすると高確率ですっきりと目覚めることができる。ただし、それを連続させると段々と駄目になっていくのだが。逆に早寝遅起きですっきりと目覚めたことはない。どれだけ長く眠っても、さっぱりすることがないので、最近は平日も休日も6時間睡眠を貫いている。

 

目覚めはすっきりとしたものだったが、起床後1時間もすると鈍器のような眠気がやってきた。頭痛もする。これが禁断症状というヤツなのかと思ってみたりするが、滅さない眠気に悩まされるのは禁煙前も同様だったのでおそらく関係ないのだろう。ただ、禁煙前に頭痛はなかった。頭痛は困る。というのも、自分の頭痛には2種類あるように思われ、ひとつは、頭の中身が内側に収縮していくような頭痛、もうひとつは、逆に外側に膨張していくような頭痛であるのだが、今回は後者であり、これが起こると、痛みだけではなく、頭が突如破裂する妄想にも襲われてしまうからだ。ところで、頭が破裂する瞬間というのは気持ちよさそうだが、実際にはどうなのだろうか。映画等で他人のものを見ている分には爽快感があるがね。

 

とにかくに今日も、喫煙せずに日を終えられそうである。