禁煙日記 4日目〜5日目(2回目)

 

前にも書いたように、喫煙をはじめた頃は週に1、2本しか吸っていなかった。それが何故毎日吸うようになったのか。急には思い出せなくて、数日間そのことを頭の隅に置きながら生活していた。今日、自作の短歌を眺めていたら、求めていた「理由」がそこにあった。

これは付き合う前の短歌。好かれたいと必死だったぼくの、命をかけた求愛行動。

 

はい、きみがぼくを好きだと言うまでに肺がこんなに黒ずみました

禁煙日記 3日目(2回目)

 

以前は喫煙しながら作業するために休日でも積極的に外出し、喫茶店の喫煙席や喫煙階に居座っていたが、禁煙をはじめてからは喫茶店で過ごすということがめっきり減った。

 

院試勉強をしているときは、気分を変えるために近所にあるマクドナルドで勉強していたが、院試が終わってからはわざわざマクドナルドに行くことがない。それでずっと家にいる。一日中家にこもっていると、自由に扱える時間が最も多いはずであるのに、何故か外出したときよりも活動量が少なくなってしまう。時間はあるのに何もできなかったという事実に毎晩落ち込んでいる。では外出すれば良いではないかという話なのだが、根が出不精であり、「外出が面倒臭い、したくない」という気持ちがすべてに勝ってしまうので、外出できない。喫茶店で過ごす、だけではなくたとえば書店に行く、映画館に行く、旅行に必要なものを買いに行く、等々あらゆる「外出」ができない。しかしこれが、喫煙可能であれば話は別なのである。

 

禁煙前のぼくは、今に比べてかなり外出していた。なぜなら家のなかでは喫煙できないが、家の外では喫煙できるからだ。つまり、ぼくの場合、喫茶店で喫煙しながら勉強したり本を読んだりしようというのがいちばん最初にあり、そのついでに書店に行ったり映画館に行ったりという行為が伴うのだ。そう、外出の最大の動機は「喫煙」、さらに言えば「長時間の喫煙」なのである。それがなければ、外出しようという気にはなかなかなれない。また禁煙をはじめてからは、外出してもすぐに家に帰るようになった。というのも、喫煙できないのであれば、喫茶店に何百円も払う気は起きないからである。おかげで貯金が少しずつ増えている。節約のために禁煙するというのは、あながち間違いでもないのかもしれない。

禁煙日記 1日目〜2日目(2回目)

 

院試勉強の反動で何に対してもやる気が起きない。やらなければならないことはたくさんあるし、やりたいこともたくさんあるのに、何もできない。まず、やらなければならないことをしようとするが、できない。だからといって、やりたいことをするのかといえばそんなことはなく、というのもぼくは根が真面目なのでやらなければならないことをしていないのにやりたいことをするというのができないからだ。そして、何もできない。こういうときに煙草があれば、生活にリズムが生まれるのに。

禁煙日記 0日目(2回目)

 

報告がふたつあります。大学院の入学試験に合格しました。あと、煙草を吸いました。

 

大学院の入試は恋人も受かっていましたが、恋人はもうひとつ受かっていたところに通うつもりらしいです。気にかけてくださった方々には感謝します。

 

煙草を吸いました。禁煙中の恋人が急に「煙草吸いたい!」とファミリーマートに突撃し、アメスピの橙色(3mg)を買ったのですが、それを一口だけいただきました。それで済めば良かったのですが、何故か恋人がそのアメスピを箱ごとくれたので、そのあとにひとりで1本吸ってしまいました。罪悪感は当然ありましたが、禁煙日記としては禁煙が失敗した方がおもしろいと思いましたので、自分で自分を許しました。何故恋人がアメスピの橙色を買ったのかというと、『ラッキー』という映画のなかに出てきたかららしいです。久しぶりの煙草はまことに美味しかったです。ただやはりアメスピは好きになれないです。また明日から禁煙を頑張りたいと思います。以上。

禁煙日記 22日目

 

禁煙を始めてからもう3週間が経ったらしい。この3週間はいろいろ(主に院試勉強が)あったため、あっという間に3週間である。再来週に入院かつ手術であり、術後1週間は安静にしておけと言われているので、あと3週間で喫煙が可能になるだろう。あ、まだ折り返し地点なのか。

 

禁煙後初喫煙をツイキャスで中継放送しようかと考えていたが、手術の1週間後はトルコにいる予定であることに気が付いたのでおそらく禁煙後初喫煙はトルコでするだろうしツイキャスはしないだろう。その代わりに(代わりに?)明日は院試の合格発表なので、合格発表を見にいくキャスでもするか(17時ごろ)。しないと思うけど。

禁煙日記 20日目〜21日目

 

20日

 

院試の二次試験が終わった。筆記試験の問題形式が変わって個人的には解答しやすくなっていた。しかし指示された語数に達することなく提出してしまったので不安が残る。面接試験ではまずフランス人の先生と15分ほどフランス語だけで会話したが、「卒論の内容を要約してください」と言われて答えようとしたら緊張のあまり自分の卒論の内容を忘れてしまい、ずっと " l'impossibilité de l'amour " (愛の不可能性)と連呼した。本当は、ウエルベックは愛がもはや不可能であるということを示すことで愛を再発見させようとしているという内容の卒論だったのだが、愛を再発見することなく面接試験が終わってしまった。ちなみにフランス人の先生はウエルベックの撮った映画を2本ほど見たことがあるらしい。 " bizarre " (ややこい)と言っていた。そのあとに日本人の教授と准教授とも面接をしたが、教授に「もっとフランス語を勉強してください」と言われたので「ですよね〜自分でもなんで一次試験を通過できたのか分かんないです〜」とヘラヘラしながら言ったら、准教授が「そう? ぼくが採点したなかではいちばん良くできていたよ」と言ってくださったので「はっはっはっまたまた〜」と言いながら心のなかで某大学大学院の学力低下を憂いていたら終わった。

 

 

21日目

 

昼飯を食べた中華屋の店内に禁煙シールと喫煙可シールの両方が貼ってあった。料理がなかなか出てこなかった。あと付いてきたミニラーメンがどう考えてもサッポロ一番だった。

 

恋人宅の近所に煙草屋があり、舌を噛んだ。