禁煙日記 19日目

 

いよいよ明日は院試の二次試験がある。今日は朝から仏作文の参考書を読んでいたが、「一書くためには百読め」だとか「普段から言葉のネットワークを意識しよう」だとか書かれており、もう遅いわ! と思った。悪いのがぼくであることは間違いないのだが。それでも使えそうな知識が幾分か手に入ったので、悪あがきというものも案外してみるものだなと思う。明日は面接試験もあるが、そのまえに煙草を吸うことができないのは痛い。代わりにビールを飲もうと思う。

禁煙日記 18日目

 

院試の一次試験を無事通過した。昨日あれだけ落ち込んでいたくせにちゃっかり通りやがってこれだから落ちる落ちる詐欺をする輩は......と皆さんお思いであろうが、そりゃ「憤怒」と訳さなければいけない単語を「持ち運ぶこと」と訳してしまったり「足取り」を「逆行」と訳してしまったり「足跡」を「釘」と訳してしまったりしたら落ちると思うのが普通だろう。しかし現実には通ったのである。どう考えても在校生に対するいかがわしい力が働いたとしか思えないが、答案用紙の上部にはミシン目があり、おそらく採点の際には氏名の書かれた最上部をそこで切り離すのだろうから、おそらく力を働かせる隙はないだろう。したがってなぜ通ったのかが本当に不思議なのだ。不思議ではあるがうれしい。お祝いに煙草を吸ってもいいですか?とは言っても明後日に今度は二次試験があるのでウカウカしていられないのだが。フランス語で小論文を書くとかやったことねえぞおい。学部でフランス語作文の授業を提供していないくせによお。うわーん。辛くなったので最後に恋人が描いて送ってくれた「おめでとうもろこしくん」の画像を載せておきますね。あと、昨日の記事のブコメに「がんばれ〜」と書いてくださった方、ありがとうございます。今朝は絶望的な気分で起床したのですが、そのコメントを見て元気が出ました。うれしい。

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禁煙日記 16日目

 

昨日あたりから心臓がバクバクして手足の震えが止まらないのだが、それは明日に大学院入試の一次試験があるからで、さらには落ちる可能性が非常に高いからであり、こういうときには煙草を吸って落ち着きたいのだが、禁煙中であるため吸うわけにもいかないし、そもそも手元に煙草がないので吸えない、とはいってもコンビニまで買いにいけば煙草は手に入るのだが、何かをし・され「たい」という欲求と何かをし・され「たくない」という欲求があるとすれば、ぼくは「たくない」のほうが昔から強く、「煙草を吸いたい」と「寒いなかコンビニまで行きたくない」とをぶつけると後者が勝つので、煙草を吸わずに済んでいるのわけなのだが、それは最近は院試勉強のために部屋に引きこもっているからであり、「煙草を吸いたい」という欲求は優先的に叶えられないだけであり消えるわけではないので、外に出るようになればもしかすると買ってしまうかもしれないのだが、やっぱり「怒られたくない」という欲求が一番強いので、最後まで禁煙を続けられそうであり、このような苦痛に耐えているぼくに、大学院合格というご褒美をくださってもよろしいのではないですか神様と思うのだが、それはヤンキーが更生してえらいというのと同じであるので、少し心にモヤモヤとしたものが湧いてくるが、そんなことはどうでもよく、とりあえず受かりたい。

禁煙日記 15日目

 

今日はパス!たぶん明日も。昨日あんな宣言をしたくせにね。というのも「禁煙日記」を書くのに毎日それなりの時間を費やしているのだが、院試が明後日に迫り、記事を書いている暇がないからである。しかしやっぱり明日は明日で院試に対する諦めがついて何か書くかもしれないな。あと、記事のネタ募集中です。あと2週間ほど続けなければならないのにもうネタがないので。コメント欄に書くか、あるいはこの記事のURLと一緒にツイートしていただければと思う。ちなみに喫煙欲はまったく減衰していないし、禁煙による健康効果も実感できていない。ただただ禁煙が辛い。以上。

禁煙日記 14日目

 

昨日の記事に「このふたり結局付き合ったんだ」というような反応をしている方を見かけたが、そうです付き合ったんです。その過程をエッセイ風に書いたものと、短歌と感想のやり取りを含めた本を作ったんです。紙版はありがたいことに売り切れましたが、PDF版は絶賛発売中なのでぜひ買って読んでみてください。紙版の再販はまったく予定にありませんが、映画化が決定するなりなんなりしたら再販すると思います。

 

今日の分の記事を書いていたら、また惚気話みたいになってしまったので削除して書き直しはじめた。以前までは惚気話といっても奇怪さの方が勝っていたので惚気感はあまりなかったが、最近は惚気話の惚気感が段々と増してきているような気がしており、控えるようにしている。しかしそれでも人は惚気てしまうのである(突然大きくなる主語)。

 

そもそも、なぜ惚気るのか。惚気話を聞かされる方からしてみれば、それはただの自慢であるのかもしれない。たしかに話す側にもそのような気持ちはあるだろう。しかしぼくが思うに、惚気て「しまう」理由は他にあるのだ。それは、「耐えられない」からだ。

 

恋人との交流のなかで心が揺さぶられるということは多々あると思うが、その感情の隆起の程度が大きくなると自分ひとりでは抱えきれなくなり、悶え死にそうになるのだ。これはオタクの言う「尊すぎて死ぬ」と近似した心性を持つと思われる。そして、その心的ショックを和らげるために、人に惚気るのだ。つまりぼくに惚気るなと言うことは、ぼくに死ねと言うことと同義なのである。だからこそ、これからも煙草と無理矢理に絡めて惚気話をしていこうと思うのでよろしく。

禁煙日記 13日目

 

煙草。円柱。恵方巻き。節分。節分といえば、昨年の節分は恋人になる前の恋人と一緒に恵方巻きを作って食べた。ぼくの実家で、ぼくの母親と一緒に。

 

ぼくは前頭葉が未発達であるせいで衝動に身を任せてしまうことが多々あり、恋人になる前の恋人をなぜ実家に招いたのかは今になっては分からないが、おそらく恋人になる前の恋人が節分に恵方巻きを食べたことがないと言ったので、「じゃあうちに食べに来たら?」と誘ったのだったと思う。以前からぼくの母親の料理が美味いという話をしていたこともあり、恋人になる前の恋人はこの誘いを非常に喜んでいるように見えた。

 

誘ったからには母親に許可を取らなければならない。ぼくは母親にこう言った。

「以前から話していたKさんが、節分に恵方巻きを食べたことがないみたいだから、うちで一緒に食べませんか?と誘ったんだけど大丈夫?」

母親は変な顔をしたあとに、

「別にええけど。えー、なんなんあんたら。よく一緒に出かけてるし、付き合っとるん?」

と言った。ぼくは答えた。

「付き合ってないよ」

「あらそう。でもあんたはKさんのことが好きなん?」

「好きだよ。これまでに2回告白したけど2回ともふられたよ。今度ふたりきりで4泊5日の台湾旅行するよ」

「は?」

母親は鋭く声を上げるとそのあとは口をただパクパクさせていた。

 

そして節分当日。の出来事は前に短歌連作にしたので割愛。

これが作られたのは2回ふられたあとなのかと思いながら読み返すと、我ながらおもしろい。

 

ちなみに恋人は節分のことを頑に「おに退治の日」と呼称する。節分に恵方巻きを食べたことはないが、豆まきはしていたらしい。ある年、鬼の役をやってみたくなり父親に代わって実際にやってみたところ、鬼が不憫に思えて悲しくなってしまったためにそれ以降は豆まきもしなくなったそうだ。