『マノン・レスコー』においてデ・グリュはマノンとセックスをしたのか

※これは大学の仏文学講義の期末課題(「ひとつ仏文学作品を取り上げて自由に論じよ」みたいな課題だった)として提出したレポートです。『マノン・レスコー』のあらすじ等は各自調べてください。また、ファム・ファタルものの起源としても有名なのでぜひ読んでみてください。

 

 

 

 このレポートではプレヴォの『マノン・レスコー』においてデ・グリュはマノンとセックスをしたかどうかについて「caresse」という単語を手がかりにして考えてみる。このレポートにおいては男性生殖器の女性生殖器への挿入という妊娠の可能性を持つ行為をセックスと書き表すこととする。またこのレポートに引用する『マノン・レスコー』のフランス語文はパブリックドメインとなっていてAmazon.jpで無料で入手できる『Manon Lescaut (French Edition)』(ASIN:B005R3TYHK)からのものであり、日本語文は野崎歓の訳で光文社古典新訳文庫から2017年に出版された『マノン・レスコー』からのものである。

 


 まず、なぜ「caresse」という単語に注目するのかというと、日本語文を読んでいる最中に他の小説に比べて「愛撫」という単語の出現回数が多いように思い、「愛撫」という単語はいったいどのような行為を示しているのか疑問に感じて考えているうちに、それはセックスという行為の隠語なのではないかと思い立ったからである。
 

 

 「caresse」という単語はフランス語文では13回用いられている。プチ・ロワイヤル仏和辞典[第4版]で「caresse」を引くと「愛撫,優しく触れること;ペッティング」と書かれており、その中で最も性的な意味であるペッティングが挿入のない性的接触を表す単語であることからも、「caresse」は普通の用法ではセックスを表さないと考えられる。しかし、宗教道徳的考えから性的規制が厳しかった執筆当時の時代背景を考えると、セックスの隠語として用いられた可能性も十分考えられる。

ところで、野崎歓は13回出てくる「caresse」のうち10回を「愛撫」と訳している。また、日本語文における「愛撫」は全て「caresse」の訳語として登場している。

 


 日本語文で「愛撫」という単語が初めて現れるのは「私たちは慎みを忘れて愛撫をかわし、二人きりになるのが」(p.34)という文においてである。これはデ・グリュとマノンの二人がサン=ドニに到着した後の宿での様子であり、後に「御者や宿の主人たちは私たちの様子に目をみはりました」(p.35)と続くように人に見られている状況である。そのような中でセックスをするとは考えられないので、この場面での「caresse」はセックスの隠語ではないと考えられる。

 

 

 また「飛んできて私を抱きしめました。私を千もの情熱的な愛撫で覆いました」(p.65)という文の状況は、姿を消したマノンがサン=シュルピス神学校にデ・グリュを訪ねに来たというものであり、会って即座に、しかも神学校の中でセックスをするという場面はなかなか想像するのが難しい。ここでの「caresse」もセックスの隠語ではないであろう。

 

 

 それと同じ理由で、デ・グリュがG・Mの息子の部屋にマノンと会うために入った時の「私は彼女の腕をふりほどき、愛撫に応えるどころかさも軽蔑したように押しやり、二、三歩あとずさって彼女から離れました」(p.212)という文における「caresse」もセックスの隠語だとは考えられないだろう。

 

 

 以上のように10回登場する「愛撫」のうちほとんどが物語の状況的にセックスの隠語ではないと考えられるものである。

 

 

 そのような中で、セックスの隠語かもしれないと考えられるものが1つだけ存在する。「しかしマノンの愛撫は、この場面が私に残した悲しみをたちまち消し去ってしまいました。私たちは快楽と恋だけからなる暮らしを送り続けました」(p.95)という文は、デ・グリュがマノンの面前でティベルジュに説教された場面の後に続くものである。「快楽」という単語はセックスに通じそうである。

フランス語文では後半の部分は「Nous continuâmes de mener une vie toute composée de plaisir et d’amour.」(p.46)と書かれている。プチ・ロワイヤル仏和辞典[第4版]で「plaisir」を引くと「①喜び,楽しみ;快楽,快感」と書かれており、その中から「喜び」ではなく「快楽」を選んだことには、野崎歓による性的な意味の強調が見られる。

ここでは状況的にセックスをしていても違和感はないが、セックスをしたと断言できるだけの根拠もない。そこで先に引用した日本語文の「マノンの愛撫」に注目してみる。これはフランス語文では「Les caresses de Manon」と書かれている。ここで『マノン・レスコー』冒頭の「彼女があまりに魅力的に見えたので、それまで異性のことなど考えたこともなく、若い娘に少しの注意も払ったことがなかった私なのに」(p.26)というデ・グリュがマノンと初めて出会う場面の一文に注目してみる。この文からはデ・グリュに恋愛経験がなく、それゆえセックス経験もないことが推測される。つまり、デ・グリュがもしマノンとセックスをしていたならば、デ・グリュはマノンとのセックスしか知らないはずである。そのような中で、わざわざ他の「caresse」との差異を強調するために「de Manon」という表現を付け加えることには疑問を感じる。しかし、ここでの「caresse」がセックスの隠語でないとすれば、他の意味での「caresse」、例えば親からのものなどが存在することは十分にあり得るので、他との差異を強調する必要性に疑問は生じない。以上のことから、この場面での「caresse」はセックスの隠語ではないと考えられる。

 


 次に、日本語文において「愛撫」と訳されていない3つの「caresse」に注目してみる。

最初に出てくるのは「Je lui fis mille caresses」(p.10)というデ・グリュとルノンクール侯爵が再会する場面の文においてである。日本語文では「私はあれこれと世話を焼き」と訳されており、状況的にもこれはセックスの隠語ではないと考えられる。

 

 

 2つ目は「Elle n’attendit point ma réponse pour m’accabler de caresses」(p.87)という帰宅したデ・グリュをマノンが出迎える場面の文におけるものである。日本語文では「マノンは返事を待ちもせず、私にさんざん口づけを浴びせました」(p.181)と訳されている。この文に続いて「そして二人きりになると」(p.181)とあることから、「m’accabler de caresses」の時点では周囲に人がいたと考えられ、この「caresse」もセックスの隠語ではないと考えられる。

 

 

 3つ目は「Elle s’approcha néanmoins pour me faire quelques caresses」(p.99)というマノンのよこした女とデ・グリュの会話の場面の文におけるものである。日本語文では「それでも彼女は私のそばに近寄って慰めようとしました」(p.205)と訳されている。この行為はデ・グリュの「ぼくの涙をぬぐいにきておくれ。ぼくの心に安らぎを返しにきておくれ、ぼくを愛しているといいにきておくれ」(p.205)という呼びかけに対してである。このような呼びかけをされて即座にセックスをしようとする人を想像することは難しいだろう。ここでも「caresse」はセックスの隠語ではないと考えられる。

 


 以上より、「caresse」はセックスの隠語としては作品中で使われていないと考えられる。しかし、このことからデ・グリュとマノンがセックスをしていないと考えるのは性急である。そこで最後に、「caresse」以外の観点からこのことについて考えを述べたい。

 


 注目するのは物語の終盤でデ・グリュがマノンと正式に結婚しようとする場面である。なぜ結婚したも同然の暮しをしていたのに、急に結婚する気になったのか。なぜ結婚が必要だったのか。本文中では「ぼくらは二人とも、立派な魂としっかりした心の持ち主だから、宗教の義務を忘れて平気で暮らしていくことは到底できない」(p.286)という理由がデ・グリュの言葉として書かれている。では、結婚することが「宗教の義務」なのだろうか。

ここで『マノン・レスコー』が書かれた時代の性規範に注目してみる。白田秀彰『性表現規制の文化史』(2017)によると、1215年の第4ラテラノ公会議以降、結婚の際に教会の扉の前で司祭の祝福を受けることが宗教的な義務となった。また同書によると「結婚を秘蹟とし性行為を罪としてみるキリスト教においては、配偶者との性行為はやむを得ない罪とされ、許されざる大罪とは、配偶者以外との性行為だ」(p.74)った。つまり、結婚は宗教的な男女がセックスをするために必要な「宗教の義務」だったといえる。そして、それこそがデ・グリュとマノンが教会に結婚を正式に認めてもらいたかった理由であると考えられる。デ・グリュはマノンとセックスをしたかった。しかし、大罪を犯すほどの退廃ぶりではなかった。だから、結婚をしてセックスが許される関係になろうとしたのではないだろうか。

また、このことから結婚前には2人がセックスをしていないということが推測される。

そして、物語が2人が結婚することなく終わったことから、デ・グリュとマノンは『マノン・レスコー』においてセックスをしなかったと考えられる。

 


参考文献
Abbé Prévost『Manon Lescaut (French Edition)』(パブリックドメイン、2011年)
レヴォマノン・レスコー野崎歓訳(光文社、2017年)
白田秀彰『性表現規制の文化史』(亜紀書房、2017年)

 

 

 

追伸

 70点でした。

 

 

 

マノン・レスコー (光文社古典新訳文庫)

マノン・レスコー (光文社古典新訳文庫)

 

 

性表現規制の文化史

性表現規制の文化史