柿村将彦『隣のずこずこ』読んだこと考えたこと

 ハイデガーが言うには、人は自らの死を自覚し、死までの期間を自分の使命を全うすることに費やす決意をすることで実存の本来性に目覚めることができるらしい。そして、死への存在として自分の道を生きていくことが大切であるらしい。自覚の仕方にも色々とあるだろうが、もしいきなり自分があと1ヶ月の命であると分かったとき、人はどのような行動を取るのだろうか。そして、死を自覚することで得られる使命とは何であるのか。
 柿村将彦『隣のずこずこ』(新潮社、2018)は強制的に死を突きつけられた人々を描いた小説だ。権三郎狸の伝承がある村に本当に権三郎狸が来ることで物語は始まる。権三郎狸の伝承というのは、ある村にひとりの女が来て1ヶ月間を村で過ごしたのちに村から去っていくが、なぜかそのあとを権三郎狸という信楽焼の狸みたいなやつがずこずこと追いかけてきて村の住人を全員食べて村を焼き尽くしてしまうというものだ。その権三郎狸があかりさんという女性とともに村に来たのだ。あかりさんが言うには、一緒に来た権三郎狸は本物であり、自分が1ヶ月後に村を出たあとに伝承通り村人は全員食われ、村は焼かれ、村人たちや村について他の人々は思い出せなくなってしまうらしい。そんな途方もない話を聞かされた村人たちは、1ヶ月後に皆死ぬという事実を案外すんなり受け入れる。
 しかし、それからの行動は三者三様である。あるものは貯金を全て高級肉に費やすことに決め連日バーベキューをし、あるものは死ぬという事実に耐えられず家に引きこもり、あるものは今までと変わらない生活をする。その様子が割にのほほんと描写されていく中である事件が起こり、実存的なテーマの中に記憶に関するテーマが織り込まれていくのだが、ここでは記憶に関する話は置いておく。話を戻すと、そのような村人たちは死を認知した存在ではあるが、本来的実存であるとは言えない。それはなぜか。死と向き合っていないからだ。死から逃げているとも言える。彼らは日常を続けることで、もしくは日常から乖離することで死から目を背けている。死を認知してはいるが、自覚はしていない。そして、それはいつか死ぬということを知ってはいるがその死に実感を持つことができていない人々、つまりハイデガーの言うところの「世人」であり大多数である人々の現に今の状態だ。主人公のはじめも最初はそのうちのひとりであったが、自分の死を直視し自分の使命を見つけそれを実行しているある人物と相対することで自分の使命を見つける。そうしてはじめは本来的実存になる。
 ここで終わればこの小説はハイデガーの思想をなぞったようなよくある実存主義小説になってしまっていただろう。しかし、この小説は他のありきたりな小説群、そして実存主義と一線を画している。それは、死を自覚したある人物とはじめが見つけた自分の使命の内容による。ありきたりなものだったら、使命の内容は社会貢献であったり愛であったり夢の実現であったり、そのようなものを含めた自己実現であったりするだろう。しかし、ふたりの使命は違う。ふたりの使命、それは自分が死なないことである。確かにそうである、自分が死ぬと分かって人がまず思うことが「死にたくない」である可能性はかなり高いのではないか。「死にたくない」は死という現実から逃げる行為であるという意見もあるだろう。しかし、柿村将彦は「死にたくない」こそがもっとも真剣な死との向き合い方であると考えているように思われる。死は乗り越えられる壁として据えられるべきなのである。いかにして死なないでいられるか、それこそが死を自覚した人が考えるべきことなのではないか。しかし、現実問題として人は必ず死ぬ。それが比較的早いか遅いかというだけである。そのため、人は他者の記憶の中で生き残ろうとする。ここで先ほどの記憶に関する話題が戻ってくる。のだが、もう文量も多くなってしまい、また書く気力もなくなってきてしまったので、ここら辺でまとめに入りたい。
 この小説の第1のテーマは死と本当に向き合うとはどういうことなのかということである。死と向き合い、「死にたくない」という自分の使命を見つけたある人物とはじめがその使命を達成できたのかどうかは実際に読んで確認してもらいたい。また上にも書いた(書けなかった)が、この小説の他のテーマとして記憶が挙げられる。覚えている、忘れていない、とはどういうことを言うのか。さらに、人は他者の記憶の中で生き続けることはできるのかという問題も浮上してくる。そして、実存に関するテーマと記憶に関するテーマは小説の最後で完全に結びつく。他にもこの文章を書いている間に、この小説に出てくる死は本来的な死ではないのではないか、だとか、この小説を読んだ人には分かってもらえると思うが、村を破壊してしまう権三郎狸は実は村人たちに永遠の命を与える(死を乗り越えさせる)存在なのではないか、だとか色々と考えたいことが出てきた。とりあえず自信を持って言えることは、日本ファンタジーノベル大賞2017受賞作はファンタジックな題材と軽やかな文体の裏に様々な問題意識を忍ばせたまさに狸みたいな小説である、ということだ。

追伸
 是非とも園子温に映画化してもらいたい(角材、日本刀、拳銃等が出てくるので)。

 

隣のずこずこ

隣のずこずこ