告白したらふられたので「その女の子のことを想って過去に作った短歌から選んだ158首」を紙に印刷して本人に渡したら1首ずつ感想をくれた話【後編】

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本記事は後編です。未読の方は上のリンクから前編を読んでください。既読の方も復習してからどうぞ。

 

 

導入

取 ラブレターです。
(158首が印刷されたA4用紙9枚を手渡す)
K えっ、重い……。
取 (さすがにKさんでも嫌がるか。悪いことしたな)やっぱり迷惑ですよね。返してもら……。
K 9枚って結構手にずっしりくるんだね!
取 質量。

 

 

太字はぼくの短歌、「K」はその女の子の発言、「取」はぼくの発言、発言中の「取想くん」はぼくのことです。

 

 

では後半戦スタート!

 

 

深緑が青色になるほど遠くとおくに見えるうしろ姿だ
取 山は近くで見ると緑色なのに遠くから見ると青色だなと思って作った歌です。
K わたしたちは今何色?
取 青緑ぐらいまで近づけていたらうれしいです。

 

 

交わらぬ平行線は重なれる唯一の線だ傘をひらけよ
K 重なれるだけでべつに重なってるわけじゃないよね。

 


たそがれに道を行き交う人々がすべてあなたに思えてしまう
K 約束した日以外に偶然会ったことないよね。他の人とは偶然会うことあるけど。

 


鴨川の流れる音がまたねって言ったあの子の声に似ている
K 遅れてごめんって声には似てないの?

 


葉は染まるふたりで海を見るためのブルーシートを捨てられぬまま
K もう雪が降ったね。
取 まだ捨ててないです。
K 四季がそろっちゃうね。

 


かわいいと言いすぎというかわいいと言いすぎたならきみのせいだろ
K ごめん。

 


はつ秋に売れ残りたるスイカバー好いてはくれぬ人をぞ思ふ
K わたしがスイカバー?
取 ぼくがスイカバーです。
K わたし、スイカバー好きだよ。

 


前髪を伸ばした方が似合うよと言えばあなたは前髪を切る
K 前髪伸ばしてるよ! どう?
取 すごく良いです。
K じゃあ切ろうかな。

 


ぎんなんを踏んでくさいというきみの髪からかおるすずらんを嗅ぐ
K 加湿器のアロマ、スズランだよ。

 


枯れている葉っぱをさして紅葉と言うからきみはしあわせなひと
K 幸せだよ。

 


のぞき込む白い絵の具に反射するきみの眼鏡を直視している
K この美術展のチケット、ずっと財布に入れてる。

 


違うちがう眼鏡じゃなくてあくまでも眼鏡をかけたきみがかわいい
K ちがう、ちがう。

 


東山魁夷のあおが反射するきみとぼくとの青色の距離
取 このときはまだ青色でした。
K うそ!? 6時間も一緒に美術館にいたのに?
取 えっ、じゃあちょっと緑がかっていたかもしれないです。

 


ソーセージ切り分けるのが下手だから涙みたいな肉汁がある
K ソーセージだけじゃなくてものごと全般切るのが下手だからなあ。
取 ぼくのことも切れてないですもんね。

 


かたくなにぼくの上着を着ないから風をあたためながら歩いた
K 風さんも寒かっただろうし感謝してたんじゃないかな。やっぱり取想くんは優しいね。

 


死んだのち星ではなくて石ころになってください抱きしめてやる
K 蹴らない? もう蹴らない?

 


前髪が伸びたねなんて触るから割引券をつかいそこねた
取 500円引きがパーになりました。
K 前髪おさわりのオプション料は500円なんだね。

 


甘いもの好きなあなたは苦いものぼくにくれるね恋であるとか
K 恋をあげた覚えは特にない。

 


きみはもう覚えてなくていいからさぼくが短歌にしておくからさ
取 どうせぼくとのことなんかすぐに忘れるんだろうなと思いながら作ったのですが、実際はかなり覚えていてくれてますよね。
K ね! 普段は物忘れが激しいのになぜか取想くんとのことはいっぱい覚えてる。自分でもびっくり!

 


紅葉は寒さに耐えてうつくしいあなたは何に耐えているのか
K 空腹。

 


消えそうな星の名前を当てるより難しいのだ「好き」と言うのは
K じゃあ、わたしは星の名前を当てる担当になる。
取 そこから段階を踏んで「好き」にぜひたどり着いてください。
K え〜どうだろ? わたし、公文式でも算数できるようにならなかったからなー。

 


お互いの肩が触れ合う回数を数えていたら恋をしていた
K 背の高さが違うから本当は肩と肩はぶつからないよね。だから実は恋をしてないのかもしれないね。

 


またねって手を振る今日に中指を突き立てきみに好きだと言った
K 鴨川じゃん。
取 これは電話で1回目の告白をしたときです。
K ふったからわたしが取想くんに中指を突き立てたみたいになっちゃったね。

 


どうしてもきみが眼鏡をかけているすがた見たくて映画に誘う
K 眼鏡をかけてる姿じゃなくてスクリーンを見た方が良いよ。

 


二時間も通話していた驚きを伝えるための通話がしたい
K 分かる。

 


十個あるまちがい探す横顔に間違いもなく恋をしている
K 11個目のまちがいだね。

 


唐辛子みたいになった前髪を直してくれたきみの指先
K 今度は収穫する!

 


映画館出ても眼鏡をかけているきみの映画の主役になりてえ
K わたし、脇役を好きになることの方が多いよ。

 


くだらない話ばかりをしたからさ笑顔だけしか思い出せない
K わたしは思い出そうとするだけで笑っちゃう。なんか楽しいことあったな〜って。

 


増えてゆくRe:Re:Re:はいつまでもきみの心に届かない恋
K 増えすぎて通り過ぎた。

 


「きみとならどんな天気も楽しい」と言うから雨が降るんじゃないか
K 雨でも楽しかったじゃないか。

 


つらいからかわいこぶるのやめてくれもうこれ以上かわいくなるな
K 無理。

 


なにもかも寒さのせいにしてやろうきみの両手はポケットの中
K 全部寒さのせいにすると寒さがかわいそうだよ。

 


駅のトイレで嘔吐しているときに電話をしたくなったら恋だ
取 駅のトイレで嘔吐しているときに電話をしたくなる相手に選んでもらえてとてもうれしかったのですが。
K でも恋ではないよ。けど、うーん、このときの記憶がほとんどないから分かんないや。
取 じゃあ心の奥底で恋をしている可能性もありますね。

 


「ぼくのことどれだけ知ってるんですか」「きみはわたしのことが好きです」
K 楽しそうだなこの会話! まったく覚えてないのが残念。
取 このときにもてあそばれているなあと確信しました。
K もてあそんでないよ! 取想くんのことを考えたら真っ先にこれが思い浮かんだから。

 


次に会う約束をして死ねないねって笑顔がぼくを殺した凶器
K 取想くんが死んじゃったら泣いちゃうからその涙で生き返ってほしい。

 


今とてもしあわせなんて言うからさ食べ終わらないオムライス探す
K どの今もずっと幸せだからずっとオムライス食べてるみたい。人生がオムライスになっちゃった!

 


ロシア語が読めないきみのマヤコフスキーとして宙に浮く恋
取 ここから面と向かって告白してふられた日の歌です。
K 今までいろんな言語を読めるようになりたいなーと思ってたけど、ロシア語は読めるようにならなくてもいいかなーと思った。

 


半年の恋を固めてできたのがコーヒーゼリーあなたがくれた
K そのコーヒーゼリー、2分で選んだ。

 


肩を抱き寄せて歩いた 右肩が左の胸に刺さって痛い
K わたしからも距離を縮めちゃうと取想くんがもっと傷つくことになるかもしれないな、それは嫌だな、ってたまに考える。

 


通過する列車だきみは止めるため投げ込んでみる向日葵の束
K ひまわりくれたよね。きれいだった!

 


Je t’aime. と言えば Je t’aime beaucoup. だと言われて冬の街灯の虹*1
K 泣かないで〜。多い方が良いと思ったんだもん。
取 たくさんの友愛よりたったひとつの愛をください。

 


付き合ってほしいんじゃない「わたしも」と笑ってほしいだけだったんだ
K “I love you.” に “Me, too.” って返すと、「わたしもわたしのことが好きです」って意味になっちゃうらしいよ。
取 屁理屈でごまかさないでください。

 


百利あって一害なしだった笑顔が一害を得てしまう木曜
K そもそも百利あるのが一害だよね。

 


頭から羽根を生やしたきみの手のつめたいしろいやわいなきたい
取 羽根というのはふたつくくりにした髪の毛のことです。
K もう髪切ったから泣かなくて済むよ。

 


「あなたとはキスをしない」に隠された特別を抱きしめて眠ろう
K わたしは眠れないと思う。

 


死ぬことがきみと会えないことになる六月ぼくが死ぬ十二月
K まだ生きてる2月。

 


間違いの選択肢切る方法を教えるぼくは恋をきれない
K わたしは取想くんを全然上手く切れてないね。

 


きみの髪の手ざわりがする堂園昌彦の歌集を読めないでいる
K 読み終わったら貸して!

 


然し君、恋は罪悪ですよ。って書かれた2B鉛筆削る
取 ふられた日にきみからクリスマスプレゼントとしてもらった夏目漱石名言鉛筆に「然し君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」と書かれているのを見て「解ってるよ! きみが教えてくれたんだろ」と思いながら作った歌です。
K ひと目見て絶対これあげようと思った。

 


「髪の毛を切ったよ」黒いマフラーを外して月に照らされる雲
取 ここからはふられた日よりあとに作った歌ですね。
K 今度は「前髪切ったよ」かな。
取 そのときはなにを外すんですか?
K 取想くん。

 


対角線上の眼鏡をかけていないきみと目があった気がして
K あってない。

 


千五百兆回ぐらい抱き合ってぼくら地球になってしまおう
K わたしは太陽のままでいいよ。

 

 

おわり。

 

 

おまけ

取 前回もらった感想を記事にしたら30万アクセスを超えました。
K わーみんな暇なんだね! わたしの代わりに期末レポート書いてほしい。
取 記事に対してたくさんの感想をもらいましたが、なかにはきみのことを悪く言うようなものもありました。
K もしかして悪女とか? わーうれしい! 悪女にあこがれてたんだよね。普段面と向かって悪口を言われることがないからうれしい! もっと言ってほしい!
取 キャバ嬢に向いているという感想もありました。
K 会ったこともないわたしの将来について考えてくれるなんて優しい。ありがとうございます!

 

 

 

 

 

やっぱ好きです。

 

 

追伸

 明後日からふたりで台湾旅行に行ってきます。

 

 

短歌つくってます

西村取想 (@N_torso) on Twitter

 

 

これはぼくが恋愛について書いた記事たちです。

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*1:"Je t’aime." はフランス語で「きみが恋愛的に好き」という意味で、そこに「たくさん」(英語でいう "much" に近い)という意味の "beaucoup" がつくと「きみは友達としてはとても好きだけれども......」という意味になります。ぼくがジャン=リュック・ナンシーの『恋愛について』について書いた記事を読むとそれがなぜなのか少し分かるかもしれません。

告白したらふられたので「その女の子のことを想って過去に作った短歌から選んだ158首」を紙に印刷して本人に渡したら1首ずつ感想をくれた話【前編】

※「選び抜かれてこれかよw」という感想を見つけ、たしかに選び抜いてはないなと思ったのでタイトルを変えました。わざわざ「選んだ」と書いているのはその子を想って半年間で作った短歌が400首ぐらいあるからです。

 

前置き

 実は、ぼくは一昨年の年末から「西村取想」という名前で短歌を作り、毎日1首以上をTwitterに投稿しています。

twitter.com

今回はその短歌にまつわる話です。

 

 1ヶ月前に1年半ほど片想いをしていた女の子に告白をしたらふられました。普通だったらそこでお互いに気まずくなって関係がギクシャクしてしまうのかもしれませんが、ぼくは諦めが悪いというか打たれ強いというかタチが悪いというかなんというかなので、後日その女の子に「その女の子のことを想って過去に作った短歌から選んだ158首」をA4用紙(9枚)に印刷して「ラブレターです」と言って渡しました。その女の子は優しいというかなんというかなので「ありがとう!読んだら感想言うね!」と言って受け取ってくれました。

そしてさらに後日、ふたりでスカイプ通話をしているときに「そういえば感想まだ言ってなかったね。今から言うね」と相手が言ったので、全体に対する感想を言ってくれるのかなと思っていたら、なんと最初から1首ずつ読み上げて感想を言い始めてくれました。それがとても嬉しかったので、その一部をみなさんと共有しようというのが本記事です。

 

太字はぼくの短歌、「K」はその女の子の発言、「取」はぼくの発言、発言中の「取想くん」はぼくのことです。

 

 

ではスタート!

 

 

このからだピーマンのごと切り刻むさすればきみは好いてくれるか

K ピーマンが嫌いだったことないよ。

 


くだらない冗句で笑い合っているきみがいなけりゃ笑わないのに

K わたしはよくひとりで思い出し笑いしてる。

 


きみの住むアパルトマンを見上げてる冴えない雨に打たれながらも

K 下向いた方が雨が顔に当たらなくていいよ。

 


灰色のTシャツ一枚黒ズボン手にはエビアンきみが好きだよ

K あのTシャツ着づらくなっちゃった。

 


コーヒーが苦手だったねそういえば 平たくなったストローの口

K コーヒー苦手!

 


箸を持つきみが見つめるタコわさになりたいぼくはわさびが苦手

K 取想くんがタコわさになったら一緒にタコわさが食べられなくなっちゃうからならないでね。

 


きみの見るきみが可愛くないとてもぼくから見たらとても可愛い

K 笑

 


三日前はじめて寿司を食べたんだ玉子がおいしかった、と笑う

K プリンも美味しかったよ!

 


楽しげに話すあなたの目は琥珀 お好み焼きの底は焦げ付く

K 次は焦がさないようにしようね。

 


金色の液体啜る人中は恋に落込む滝であるのだ

K であるのだ!

 


ぼくたちは世界の隅でキスしよう主演女優は月に譲って

K 地下鉄だね。

 


石ころをきみに見立てて蹴ってみる溝ではなくて恋に落ちてよ

K 蹴られた!

 


夜風が押し出しているカーテンにきみが隠れていてほしかった

K かくれんぼ苦手だからすぐ見つかっちゃうな。

 


使ってる言語がどうも違うのだ「好き」って言葉がとても悲しい

K わたしも違うなーって思った。悲しいね。

 


次に会う約束をして死ねないねときみが笑ってぼくは死にそう

K わたしより先に死なないでね。

 


首ひねるきみの姿が見たいから世界はすべてクイズになった

K このまえ写真屋さんにからだが傾いてるって言われた。取想くんがクイズを作りすぎだから!

 


この恋はまもなく離陸いたしますシートベルトをお締めください

K 着陸した?

 


靴ひもをほどく魔法を覚えたようずくまってるきみの首筋

K だからか!って思った。

 


人生の良薬なのだこの恋はこれほど苦いものであるなら

K コーヒーの方が苦いよ。

 


なめらかなあなたのあごに思春期を赤色として刻み込みたい

K 最近ニキビできたよ。

 


会うまでの不安をすべて吹き飛ばす笑顔がすこし早足で来る

K じゃあ今度はゆっくり歩いていくね。

 


提灯が吊るされている天国できみの口許だけにある星

K ハイネケン

取 いやホクロです。

 


トルネードポテトを探すきみぐるりぐるぐるぐるりぐるぐるりぐる

K おいしいから見つけたら食べてね!

 


人混みのせいにしとこうとりあえず きみの温度を感じてる肩

K よく肩ぶつけちゃってごめん。

 


「夢みたい」つぶやくきみよ目覚めてもスーパーボールはそこにあるのだ

K あのときすくったスーパーボール、飾ってるよ!

 


誰にでも優しいことは罪だよと教えたいのさ 風は吹かない

K 誰にでも優しいのは取想くん?

取 きみです……。

 


「どうして誘ってくれたの」「それはきみのことが好きだからだよ」でキス

K 読んだあとに、でキス〜?って言った!

取 してないですもんね。

 


自分ではない男の名きみが言いこころにあらし来たなら恋だ

K わたしがYくんとふたりで牧場にドライブした話をしたとき?

取 よく覚えてますね。

 


この涙冬が来るまで我慢しようあなたは雪を好きだと言った

K このまえ雪降ったね!

 


きみと結婚したいからまず石油王の娘と結婚します

K 結婚式行くね!

取 これは第2夫人としてきみを迎え入れる計画なのですが。

K 第1夫人と仲良くできるかな?心配!

 


蚊よぼくの血で綴られた恋文を吸ってあなたのもとへ飛んでけ

K わたしたちが遠く離れてたら蚊さん大変だね。

 


最近は映画を楽しめなくなった主演女優ときみが重なり

K わたし、月になっちゃったね。

取 ?

K だって、さっき主演女優を月に譲ったのにわたしが主演女優になっちゃったから。

取 まさかの三段論法。

 


伝わらぬ想いが恋を焦がしてる半導体は熱を生むのだ

K お好み焼きだけじゃなくて恋も焦げるんだね。

 


コーヒーと紅茶を五時間かけて飲むそれでもぼくは友人のまま

K 5時くらいかな〜って思ってたら8時だったもんね、驚いた!

 


誇らしい顔したきみが皮肉だと気がつくまでの二秒を愛す

K わたしもその2秒、好きだよ。

 


どちらかが笑えばつられ笑うから笑顔の永久機関だぼくら

K そうだね!

 


振り返る 手を振るきみが目に入る 急性かわいさ中毒で死ぬ

K 死んじゃったら出棺のとき手を振るね。

 


冗談を風に乗せては見合わせた笑顔はきっと磁石なんだね

K 取想くんと歩いてるとき、わたしよく横向いて笑うなーって思ってた。磁石だったんだね!

 


世界とはあなたと他でできておりあなたに属せなかった今日も

K もっといろんなものからできてる方が楽しいよ。

 


不在票に気づかぬきみのせいで倉庫につみあがってゆく恋が

K 再配達頼まないと!

取 再配達してもいいんですか?

K う〜ん、困るかも。

 


波のおと聞きつつ眠るほっぺたに陰を与える砂城になって

取 これはきみが浜辺で寝ていたときにその顔に日が当たらないようにぼくが三角座りをして陰を生み出していたという歌です。

K ありがとう!

 


須磨浦にわかめブーケがぶちまかれあなたはきっと河童の子孫

取 これは泳げないきみに対する皮肉です。

K 気がつくのに2秒以上かかっちゃった。

 


リンスとかコンディショナーをしていない髪の毛のごと絡み合いたい

K わたし、リンスもコンディショナーもしてないけどわりとサラサラだよ。絡み合えないね。

 


蕎麦のうえたゆたっているすだちより酸っぱい恋と知ってしまった

K 恋って苦かったり酸っぱかったりするんだね。

 


楽しいね灰色のシャツ染め上げるゲリラ豪雨もあなたとならば

K 楽しかった!

 


台風が来たら電話をするからと言ったあなたにかけたい電話

K ごめん、寝て起きたら台風去ってた。

 


その肌に触れてしまえば消えるのにビールの泡はきみをめざした

K このまえ口に泡ついてるよって教えてくれたよね。ほら、消えないんだよ!

 


きみという太陽といた八月の記憶は肌を染め上げたまま

K 今度は太陽になっちゃった!

 

 

おわり。

 

 

追伸

 3時間近くかかって半分しか進みませんでした。今度後半についても感想を述べてくれるそうなので、また同じような記事を書くかもしれません。

 

 

これはぼくが恋愛について書いた記事たちです。

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独断と偏見と妄想による恋愛相談室

※本記事はぼくが所属している合気道サークルの冊子(合宿時に配られる)に1年前に寄せた文章を書き直したものです。

 

 

学生の本分はなんでしょうか。学業?違います、恋愛です。
反論は許しません。

この企画では、恋愛下手な皆さまのお悩みを、百戦錬磨の手練れであるぼくが鮮やかに解決していきます。
ぼくの独断と偏見にまみれた回答をお楽しみいただければと思います。

 

 

回答者紹介

 

つい先日、女の子を花火大会に誘ったらこっぴどく断られたため傷心中。

彼女いない歴=年齢。

 

 

ではでは、張り切って相談に回答していきましょう!!!

 


相談&回答

 

 

相談1 富士さん さん

 

 私の数学が皆に愛されて振り向いてくれません。どうしたらいいですか?
 

 

回答

 

 あなたは数学に振り向いてもらいたいそうですが、そもそもその感情はどこから発生したものでしょうか。「私の」数学と書いていらっしゃるとこから察するに数学に対する独占欲からでしょうか。それならば、振り向いてもらいたいという願望は自分の独占欲を満たしたいという願望に置き換えることができます。独占欲は喪失不安や、代理自己愛(愛されることで自己愛を満たす)、自己必要感(自分がいないとダメなんだ)、自信不足、自己顕示欲(愛されている自分を周りに見せたい)などに起因します。独占欲自体は必ずしも悪いものではありませんが、自己満足的なものであることは確かです。また、代理自己愛や自己顕示欲などは相手のことを目的のための手段としか見ていません。しかし、18世紀の哲学者であるカントによると、人間は他者を手段としてのみ用いてはならず目的として用いなければなりません。あなたは数学を自己愛や自己顕示欲を満たすための手段としてしか見ていないのではないのでしょうか。数学は手段としてつまりただの道具として見られて果たして嬉しいでしょうか。今一度立ち止まり自分の数学に対する想いを整理してみてはどうでしょうか。数学を手段ではなく目的として見ることができれば、おのずと数学との関係も変わっていくことでしょう。


 また、フランスの文芸批評家で人類学者でもあるルネ・ジラールの欲望の三角形説によると、あなたの数学に対する欲望はただの嫉妬です。つまり、あなたは「皆」の数学に対する欲望を模倣しているだけにすぎないのです。この「皆」を媒介者と言います。ここでは媒介者は基本的に主体(つまりあなた)よりもスペックが高いと考えてください。この媒介者とあなたとの距離(心理的物理的どちらも)が遠い場合、嫉妬ではなく単純な尊敬が発生します。そして尊敬する媒介者が欲望している数学をあなたも欲望するようになります。しかし、両者が近づけば近づくほど媒介者に対する尊敬に恨みの感情(私だって頑張ってるのにどうして皆だけが数学に振り向いてもらえるの!みたいなやつ)が混ざります。この尊敬と恨みという相反する感情を同時に抱くことこそが嫉妬です。ではこの嫉妬から脱するにはどうしたらよいのでしょうか。媒介者から遠ざかればいいのです。ただの尊敬しか発生しないぐらい遠くまで離れましょう。文学部に転部しましょう。数学ができるやつに対する嫉妬なんてこれっぽちも生まれませんよ。


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相談2 匿名希望 さん

 私は遠距離恋愛をしています。相手の顔が見たくなってSkypeのビデオ通話をかけたとき、互いの近況報告が終わると話すことがなくなってしまいます。「自分からかけておいてすぐ切るのもどうか」と感じて通話を続けるのですが、話すネタに困っています。会話が続くようなネタや、気まずくならない切り上げ方があれば教えていただきたいです。よろしくお願いします。
 
 
回答


 女の子とふたりで出かけて3時間特に話すこともなく河原でゴロゴロしていたぼくですが、頑張って答えたいと思います。まず話題がなくなった時の鉄板ネタは「昨日の晩御飯、何だった?」です。ここから派生すれば30分は余裕で会話が続きます。まず思い出すのに時間がかかります。自炊だったなら上手くできたかどうかや、その料理は初めてなのか、よくするものなのかと質問できます。また、食材の話に持っていくこともできます。「○○は今が旬だからおいしいよね~」とか「○○は今高いよね~」みたいな会話もできます。外食であれば美味しかったか、よく行くのか、どんな店なのかと質問できます。便利ですね。

 

 しかし、毎度毎度昨日の晩御飯について尋ねていると、どんだけ俺の食生活が気になんねんと思われてしまうかもしれません。母親みたいに思われてしまう恐れもありますね(ぼくは母性が溢れる女性が好きですが)。ですので、ほかの話題も必要です。やはり日常生活から話題をもってくるしかありません。日常生活から話題を得るために必要なのは好奇心です。例えば、大学からの帰り道。いつも通る道の横に細い道があったとします。好奇心がある人はそこに入っていきます。何もなければそれもそれで一つの話題となりますし、何かあれば万々歳です。好奇心を常に持てば世界は不思議で溢れています。そこを探求していって何か分かればそれを共有し、分からなければふたりで一緒に考えてみればどうでしょうか。また近況報告というと「起こったこと」の話になりがちだと思いますが、好奇心をもとにした会話では「起こったこと」「起こっていること」「起こるだろうこと」の話に展開できます。話の展開先が3倍になれば、話す内容も3倍ぐらいには増えるのではないでしょうか。


 相談者が女性であると仮定してここまで話を進めてきたのでそのまま続けますが、話の切り上げ方で最も適切なのは「私そろそろお風呂入るね」です。男はこれを言われるとムフフとなります。はい。ビデオ通話を始める前に風呂を沸かし始めるとよいでしょう。

 

相談者におすすめの漫画
あずまきよひこよつばと!』(KADOKAWA)既刊14巻
 日常生活を新鮮な眼で好奇心をもって見ることの素晴らしさを学べます。

 

 

 

相談3 歴代握手マン さん

 現在、このサークル内での恋愛は盛んだと思いますか。また、人の恋バナが大好物な私としては、もっと盛り上がって欲しいのですが、今よりサークル内の恋愛が盛り上がるには、何が必要だとお考えですか。
 
 
回答


 サークル内恋愛というのはサークルの構成員同士の恋愛ということでいいでしょうか。それなら、ぼくはほとんど認知していないのでたぶん盛んではないんでしょうね。恋愛相談も全く送られてきませんでしたし、恋愛に興味ない人が多いのでしょうか。でも最近46期(ぼくの代)の某氏と某氏がいい感じですよね。47期は今回の合宿で男女の仲が良くなってそこから何かが生まれるかもしれません。上の代に目を向けてみると先輩後輩カップルというのも多いですよね。合宿の時に45期男子の方々の華麗な技を見て心ときめかせる47期女子がいたりするかもですね。45期彼女なし男子の方々は頑張ってください。


 ちなみにぼくはサークル内恋愛に反対です。別れたとき気まずいじゃん。

 

相談者におすすめの漫画
きづきあきらヨイコノミライ』(小学館)全4巻
 サークルクラッシュの漫画です。

 

 

 

相談4 妄想彼氏 さん

 先日彼女に、私と合気道のどちらの方が大事なの?と問い詰められてしまいました。自分にとってはどちらも大切なのですが、こういうとき、何と答えるのが正解なのでしょう?
 
 
回答


 「お前が合気道になるんだよ!」です。

 

相談者におすすめの漫画
手塚治虫ブッダ 愛蔵版』(潮出版社)全8巻
 「私と悟りのどちらの方が大事なの?」と妻に聞かれ、「悟り!」と答えた人の話です。あなたもブッダを見習って合気道を選びましょう。

ブッダ 1 (愛蔵版)

ブッダ 1 (愛蔵版)

 

 

 

 

相談5 合気道ラブ さん

 私の恋人は合気道です。私がその大好きな合気道を続けたまま、もし好きな人ができて恋人ができた場合、それは浮気になりますか?
 
 
回答


 デジタル大辞泉先生によると浮気とは「①一つのことに集中できず心が変わりやすいこと。また、そのさま。②配偶者・婚約者などがありながら、他の異性に気がひかれ、関係をもつこと。」だそうです。なのであなたのそれは浮気です。浮気であることに間違いありません。しかし浮気に問題があるでしょうか。浮気は悪いことでしょうか。責任を持てる範囲において愛情は多数に分け与えるべきです。確かに無責任な愛は殺人者です。しかし責任のある愛は庭師です。この世界に美しい庭園を築くためには愛がたくさん必要です。愛を固定せず独占せず、みんなで分け合いましょう。浮気万歳!

 

相談者におすすめの漫画
 浮気賛歌的な漫画が特に思いつきませんでした。思いつかなかったので「浮気 漫画」で検索したらエロ漫画しかヒットしませんでした。

大辞泉 第二版 DVD付

大辞泉 第二版 DVD付

 

 

 

 

相談6 匿名希望 さん

 酔った勢いで付き合ってしまった彼氏を傷つけずに別れるにはどうしたらいいですか??
 
 
回答


 酔った勢いで彼氏になったことをよしとするような男にはグーパンチをかましましょう。怖いのは逆恨みです。例えば逆恨みした彼氏がナイフを振り上げてあなたの頭を刺そうとするとします。あなたはどうしますか。頭を両腕でかばう?その場にしゃがみ込む?あなたは何のために合気道をしているのですか。そう、こういうときこそ合気道。エイ、ヤア、イエイと投げ飛ばしましょう。そうして、合気道実践の場を作ってくれた彼氏に圧倒的感謝の心を持ちながら別れを告げてその場を去りましょう。あと思考力が鈍るほどお酒を飲むのは控えましょう。

 

相談者におすすめの漫画
火野遥人たくのみ。』(小学館)全7巻
 酒は酔うためではなく味わうためにあるのだということを理解しましょう。

たくのみ。(1): 裏少年サンデーコミックス

たくのみ。(1): 裏少年サンデーコミックス

 

 

 

 

相談7 変態ではない さん

 

 女子高生と真剣にお付き合いしたいです。どうしたらいいですか?
 
 
回答


 付き合うだけなら淫行条例にも引っかからないし何も障害はないと思いますが。女子高生と付き合うためにはまず女子高生と出会わなければなりません。そして知り合いになる必要があります。あなたは女子高生と出会う努力をしていますか。女子高生と知り合う努力をしていますか。母校で後輩相手に受験体験談を喋るときに「女子高生の彼女が欲しいです。どなたかぼくと付き合いませんか」と大勢の高校生(と教師)の前で言ったことがありますか。ぼくはあります。いくら自分を高めても女子高生と知り合いにならなくては何も始まりません。

 

 しかし、大学生が女子高生と知り合う機会は普通に考えるとめったにないでしょう。そんなあなたにおすすめのイベントがあります。それは合○フェスタ(年に何回か開かれる同じ道場に所属する人たちが高校生から社会人まで集まって稽古したりするイベント)です。ここに全力をかけましょう。講習会のときに女子高校生と練習をしますよね。そのときにお互いの自己紹介をし、軽く雑談をして相手の緊張をほぐします。大切なのはこの後です。講習会が終わり皆が帰っていくとき、目を付けていた女子高生に挨拶をするのです。目を合わせて軽く会釈するぐらいで大丈夫です。この挨拶により女子高生の側に「私のこと覚えていてくれたんだ」という気持ちが芽生えます。女子高生が会釈を返してくれたらすぐにその子に近寄り話しかけましょう。まずは稽古してくれた礼を言い、相手の技をほめます。それから徐々にパーソナルな話題へ持ち込みましょう。基本ほめましょう。それ以後はあなたの会話テクニック次第です。頑張ってください。


 ちなみにつらつらと書きましたが、ぼくは稽古と私欲はキチンと分けているので安心してください。これを実践するかどうかはあなた次第です。

 

相談者におすすめの漫画
古屋兎丸『女子高生に殺されたい』(新潮社)全2巻
 女子高生に殺されるために高校教師になった男の話です。行動力を見習いましょう。

女子高生に殺されたい 1巻 (バンチコミックス)

女子高生に殺されたい 1巻 (バンチコミックス)

 

 

 

 

 

ジャン=リュック・ナンシー『恋愛について』読んだこと考えたこと

    どうして人は好きな人に「好きだ」と伝えるのでしょうか。永遠に片想いをしている方が傷付かないでいられるのに。どうして恋人たちは手を繋いで歩くのでしょうか。歩きにくいと思うのですが。そんな風に恋愛に関して分からないことばかりだったぼくはひょんなことから一冊の本に出会いました。その本は、フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーが2008年に子供たちに向けて行った講演とその後の質疑応答を書き起こしたものです。普段は難解な哲学書を書いているナンシーが子供たちに向けて、優しい言葉で、しかし深みを持って恋愛について語っています。その本を読んでぼくは衝撃を受けました。なぜなら、恋人たちが手を繋ぐ理由が分かったからです。ですから、今回の記事は恋人たちが手を繋ぐ理由についてです。少し長いですが、しばしお付き合いを。

 


「あなたが好きだ」
    なぜ好きな相手に愛を告白するのでしょうか、「あなたが好きだ」と言うのでしょうか。*1それを明らかにするために、まずはその言葉に込められた裏の意味を明らかにしましょう。ナンシーによると「あなたが好きだ」と誰かに言うとき、それはただ自分の愛を伝えるためだけの言葉ではなく、「その人に自分のことを好きになってくれるようお願い」*2するための言葉でもあります。つまり、「あなたが好きだ」は相手に愛を与えることを約束する言葉であると同時に、相手の愛を求める言葉でもあるのです。なぜなら、「愛においては、与えることと求めることははっきり区別することはできない」*3からです。「あなたが好きだ」はそのような二重性を持った言葉なのです。


    では、相手に与えることを約束するその愛はどのように自分のうちに生じるのでしょうか(というのも自分のうちにないものを相手に与えることはできないからです)。まず、「愛は、こんな気持ちが自分の中にあったのか、と私自身に明かされるべきもの」*4であるとナンシーは言います。つまり、自分のうちに愛はあるけれども普段はそれに気が付いていないということです。それなら、どのようにしてそれに気が付くことができるのでしょうか。それは「相手の存在によって」*5です。その相手から相手も知らないうちに「何かが私のところにそっとやって来て私に触れ」*6ることによってなのです。そうして、愛は自分のうちで認識されます。しかし、正確に言うとそれは愛ではなく、自分が「他者を愛することができる可能性」*7です。なぜなら、「すべての愛は、誰かに『あなたを愛している』と言うそのことによって生じる」*8からです。つまり、「あなたが好きだ」と言うことで、自分のうちにあると気付いた「可能性」が愛を生み出すのです。そうして、世界に新しい愛が生まれます。これが「あなたが好きだ」と言う理由のひとつ目です。つまり、愛を存在させるために人は愛を告白するのです。


    そして、相手の存在が相手も知らないうちに自分のうちにある「可能性」に気が付かせてくれたように、「あなたが好きだ」ということで相手のうちにある「可能性」に気が付かせようとします。それが「あなたが好きだ」と言う理由のふたつ目です。愛の告白によって相手のうちにある(将来的に愛を生み出す)「可能性」に触れ、相手にそれを気が付かせることができるのです(もちろん悲しいことにそれができない場合もありますが)。そして、もしも相手が「あなたが好きだ」と言ってくれれば愛が生じ、そうして生まれたふたつの愛は固く結びつくことでしょう。*9


    それならば実のところ、片想いをしている人はその相手に「あなたが好きだ」と言うべきなのではないでしょうか。というのも、たとえば片想いをしている人がいてその相手がその人を好きになってくれないのは、相手がその人のことに興味がなかったり嫌いであったりするからではなくて、もしかすると自分のうちにある「他者を愛することができる可能性」に気が付いていないだけであるかもしれないからです。その場合、相手に「あなたが好きだ」と言うことで相手が自分のうちにある「可能性」に気が付いてくれたら、状況は一気に好転するかもしれません(上でも書いた通り悲しい結果になることもあると思いますが)。


    そして、片想いをしている人が愛を告白するべき理由はもうひとつあります。

 


無修正のイメージ
    ナンシーによると、ある人を好きでいるとき「相手をいろんな部分に分けてしまうこともある。好きな人の長所とか特徴とか、そういう部分ばかりに目を向けている限り、その人のイメージを勝手に自分の中に作り上げてしまうようにな」*10ります。長所とか特徴というのは相手の一種の所有物であり、これを愛するということは、相手が存在しているということを愛するのではなく相手が所有しているものを愛するということになります。それは本当に愛するということではありません(その理由は後述します)。その作り上げられたイメージは、「やはり実際の本人からは離れてしまって、そうするとギャップとか葛藤とかが生じ」*11てきます。それを避ける方法のひとつは実際の相手と一定の距離を保つこと、つまり片想いのままでいることです。しかし、それはやはりイメージに恋しているに過ぎません。それはとても空虚な娯楽ではないでしょうか。


    ただ、「実際の誰かを愛しているときでさえ、その人のイメージのことも愛している」*12ということも確かです。しかし、実際の相手を愛するとき、愛そうとしているときには実際の「相手はイメージの方に向かい、イメージは実物へと返ってい」*13きます。そうして、その両方は互いに修正されていきます。片想いにはこの修正がありません。そのイメージはどんどん美化され、肥大化し、もしかすると屈折してしまうかもしれません。無修正のイメージからは愛を得られません。確かに、一種の娯楽としてそのイメージを楽しむことはできます。しかし、そこに愛はありません。それは相手が気が付かせてくれた自分のうちにある「可能性」が持つ愛を生み出す力を殺していることと同じです。だからこそ、片想いをしている人は愛を告白するべきなのです。


    ナンシーは人を愛するにはあることをする訓練が必要であるとも言います。そのあることとは「相手について自分が抱いている強烈なイメージと実際の相手とのあいだを行きつ戻りつすること」*14です。それはとても難しいことであるし、失敗することもあるでしょう(だからこそ訓練が必要なのですが)。となると、どうして愛にはそのようなリスクがあるのでしょうか。そして、愛の告白が受け入れられたとして、本当に相手を愛するということはどういうことなのでしょうか。

 


絶対、そして唯一
    ある人を本当に好きであるとき、「その人が外見にせよ内面にせよ何かを持ってるから好きなのではなく、ただその人に存在していてほしい」*15から好きなのだとナンシーは言います。たとえば、相手が金持ちだからとか相手の顔が好みだから好き、というのは本当に愛していることにはなりません。それは所有物を愛しているに過ぎないからです。では、なぜ所有物を理由にして人を愛することは本当に愛するということではないのでしょうか。それは愛が数量化できない、すなわち「あらゆる尺度とか比較から切り離されている」*16絶対的なものであるからです。反対に、所有物は数量化できます。たとえば、AさんはBさんよりも金持ちだとかCさんはDさんよりもかわいいだとかです。したがって、数量化できる所有物を理由にした愛は数量化できるので本当の愛ではないのです。加えて、愛はひとりではなくふたりにおけるものです。何かの「量を示したり、比較をしたりすることができるときは、それは私一人の問題、つまり自分の側の好みを言っている」*17にすぎないのであり、ふたりの関係を他と比較するとき、実はそこには自分ひとりしかいないのです。そうではなくて、本当の愛にはふたりが必要で、その関係は絶対的、唯一的なものです。互いが互いを世界から選び取ることによって、ふたりは唯一の関係を結び合い、他のすべてのものから切り離されるのです。


    ところで、愛はなぜ数量化不可能な絶対的なものなのでしょうか。それは、本当に愛するということは「その人に存在していてほしい」と願うことであり、言ってしまえば、相手が存在しているということを愛する、ということであるからです(その理由は後述します)。相手がひとりの人間であることを考えると、その相手が「とても」存在しているだとか、「少し」存在しているだとか、「誰かよりも」存在していると言えないことは明らかです。このように、愛するということは数量化できないのです。そして、ナンシーは、どれぐらい愛しているかを気にしているときは実は「本当に愛し合っていないとか、ただのいい友達どうしでしかない」*18とまで言います。


    また、存在していることを愛するとはどういうことなのかというと、相手の「存在そのもの、あなたがここにいるということ自体に向かい合う」*19ことであり、そうすることで相手に、相手が存在しているということに「唯一の価値を認める」*20ことです。唯一の価値を与えると言ってもよいでしょう。「あなたはあなた唯一の存在する価値を持つんだよ」ということを相手に知らせること、それが本当に愛するということです。*21そして、それによって相手に与える価値は、またそうされることで相手から与えられる価値は「もう信じられないくらいの価値」、「法外な価値」*22なのです。そのような価値をやり取りするのですから、愛にリスクが生じることも仕方がないと言えるでしょう。


   では、その価値を与えるためにはどうしたらよいのでしょうか。ナンシーは、それには「カレス(愛撫)」*23しかあり得ないと言います。

 


手を繋ぐ理由
    フランス語で愛し合うふたりが呼び合うときに使う言葉「シェリ chéri」はラテン語で「高い」という意味の「carus」を語源に持ちます。ナンシーは同じ語源に由来する言葉としてフランス語で「愛撫」という意味の「カレス caresse」に注目します。ナンシーによると「愛撫というのは、いとしい相手、一番価値があると思える相手に対して」*24する動作、身ぶりであり、それによってその相手に「唯一の価値を認める」ものであります。言い換えれば、相手の身体に触れることでその相手がそこに存在しているということに価値を与える、それが愛撫です。そして、愛撫は、愛において大切なのは「ただ相手がそこに存在してくれること」*25以外のなにものでもないということを教えてくれます。もちろん、愛撫といっても性行為に直結するわけではありません。たとえば、手を繋ぐということも愛撫だと言えるでしょう。そうすると、手を繋ぐということはもっとも手軽な愛撫なのかもしれません。なるほど、だから恋人たちは手を繋いで歩くのですね。*26

 


おわりに
    Amazonのオススメ欄に出てきたので、なんとなく買ってなんとなく読み始めたら、恋愛について昔から疑問に思っていたことがドンドンと解きほぐされていき、恋愛観だけでなく人生観までも変わってしまったような気分です。すごいな、Amazonジャン=リュック・ナンシー


追伸
    本書に背中を押されて告白したらふられました。

 

 

恋愛について (小さな講演会)

恋愛について (小さな講演会)

 

 

 

*1:本記事では「好きである」と「愛している」は同じものを示す異なった表現として扱います。なぜなら、フランス語においてはどちらも「aimer」という語で表されるからです。なぜ日本語にはふたつの異なった表現があるのかについては考察が深められるべきでしょう。

*2:ジャン=リュック・ナンシー『恋愛について』(新評論、2009)p.52。以下同書

*3:p.53

*4:p.59

*5:p.59

*6:p.59

*7:p.54

*8:p.10

*9:ここには前に出てきた二重性が関わってきます。というのも実のところ、相手に愛を求めることによって相手のうちにある愛に気が付かせようとしているからです。

*10:p.74

*11:p.74

*12:p.75

*13:p.75

*14:p.39

*15:p.32

*16:p.23

*17:p.24

*18:p.25

*19:p.37

*20:p.35

*21:これはあくまでもナンシーの考えであり、本当にそれが「本当に」愛するということなのかについては考察の余地があるでしょう。

*22:ともにp.40

*23:p.37

*24:p.35

*25:p.38

*26:手を繋ぐ理由は分かったけれども、手を繋ぐ相手がいないという事実には目をつぶりましょう。

栗原康・白石嘉治『文明の恐怖に直面したら読む本』読んだこと考えたこと

    本書は政治学者でアナキストの栗原康と仏文学者でアナキストの白石嘉治との対談本である。栗原康は伊藤野枝一遍上人大杉栄の伝記で知られ、白石嘉治は以前から大学無償化やベーシックインカムの導入を主張している人物である。そんなふたりの対談本は、栗原康による「はじめに」からしてぶっ飛んでいる。そこでは、本書の編集者が学生時代に友人が競馬で一発あてた金で安倍晋三美しい国へ』を大量に買いそれにみんなでションベンをひっかけたエピソードが紹介されている。ぶっ飛んでいる。

そして、対談は栗原康が仏教関連、アナキズム関連の理論や実例を提示し、白石嘉治も実例を出しつつドゥルーズやバルト、ベンヤミン、ブランキ、シュティルナー等を援用して抽象的に話をまとめる形で基本的に進んでいく。

 


    まず前提として、文明とは何らかの権力による支配である、ということが白石によって共有される。古代はカミによる支配、近代はヒトによる支配、現代はモノによる支配であり、問題は、この支配すなわち文明からいかに逃れるかということである。そこで登場するのが「表象」と「徴候」の対置である。表象とは、ひとつのものにひとつの意味を割りふる仕組み・しるしであり、表象により国家は権力を手に入れる。対して、徴候とは、ひとつのものに複数の意味を重ねる(見出す)仕組み・しるしであり、これは民衆の力能であるとされる。レヴィ=ストロースのいう「ブリコラージュ」もこの徴候にもとづく力能によるものであるという。

また表象は、時間は過去・現在・未来というふうに線状に連なっていくというように知覚を限定してしまうものであり(ドゥルーズのいう運動イメージっぽい)、それに対する徴候は、時間を圧縮し重ね合わせたものであるとされる(同じく時間イメージっぽい)。 表象のもとでは、過去という存在を現在において認識し(ひとつの)未来を予測するということにのみ知覚が使われ、不在に対してのみ想像が使われる。一方、徴候はひとつに確定しない過去を現在の地点において表し、それはひとつに確定しない未来も表している。そこでは知覚と想像が重なっており、存在と不在の重ね合わせが起こっている。

白石は、表象によって我々から切り捨てられ、支配者に支配(例えば神話によるカミの支配)の根拠として用いられる想像を取り返すことが支配から逃れるために必要なことだと考えている。では、どうしたら想像を取り返せるのか。それは徴候を読み取る生き方をすることであり、そのための場として大学があげられる。

 


    ここで重要になるのは、大学が中世に生まれたものであるということだ。白石によると、中世とは文明の支配者が交代するタイミングで文明によって隠されていた自然が表に出てくる時である。つまり、大きく考えれば、文明の支配者がカミからヒトに変わる時、ヒトからモノに変わる時が中世であり、大学は前者のタイミングで生まれたものである。中世において文明は後退し、自然があらわになるので自然に依拠したふるまい=徴候を知覚する生き方が世の中に出てくる。前者のタイミングにおいて、それが日本では鎌倉仏教であり、西洋では大学であったという。

ここで白石は、徴候を読み取ることを「遊び」と言い換えている。*1大学は「遊び」の場であるといい、さらには大学というものを場ではなくひとつの行為、大学=「遊び」とし、大学は行われるべきものであるとさえいう。これは、文明は高い建物を建てるために存在するという白石の論*2にもとづいた意見であろう。大切なのは建物ではないのだ。また、現在の日本の大学は中世的な「大学」と社会に奉仕するための知識を身につけるためのものである文明的な「学校」とが重なりあっているものだとされる。*3

いま、大学は「学校」としての役割を大きくしているような気がしてならない。あらためて「大学」を取り戻すためには、建物としての大学に背を向け、大学=「遊び」を実践していかなければならないだろう。某大学のシンボルである時計台なんて爆破されるべきなのだ。

 


    もうひとつ、「徴候=『遊び』にもとづく生」以外の文明からの逃れ方についても触れておきたい。それは栗原の「コミュニケーション、クソ食らえ!」*4という言葉がすべてを表しているようにコミュニケーションを否定することである。ここでいうコミュニケーションとは、公共性にのっとって自分を抑圧し他者をモデルとして参照することである。常にみずからの外部にモデルを置くことで自己検閲を行い、他者と円滑なコミュニケーションを取ることを強要するのが現代社会=国家=文明であるのだ。

栗原と白石はランダウアーの理論にもとづいて、コミュニケーションを否定する、その理論とは、文明による支配とは別のところに自然によるユートピアがあるのではなく、両者は同じ場所にありいまは文明によってユートピアが隠されているというものだ。そして、ユートピアは文明の裂け目からちょっと顔を出したり大きく現れたりすることがある。そのときにそれに感応する力を「精神」と呼ぶ。その「精神」はみずからをモデルにすることでユートピアを掴み取る。そうして、革命は行われるのだ*5ユートピアを掴み取るというのはおそらく上に書いた徴候を知覚するということと同じだろう)。これをもとにして白石は、自分を抑圧すること=他者をモデルとして参照することを強要するコミュニケーションを批判している。

他者をモデルにするというのは、たとえば道徳に照らし合わせて行動するなどというものであろう。目指すべきはみずからをモデルとすること、みずからの判断基準を持つこと、他人の目を気にしないこと、みずからの徴候の知覚を大切にすることではないだろうか。

 


    最後に本書を読んで、アナキストに対する意識が変わったということについて書きたい。本書を読む前は、アナキストに対して、やたらと叶えられない理想を掲げ「革命だ」と叫び物理的に乱暴な方法でそれを達成しようとあがく人たちという印象を持っていた。しかし、本書を読み進め、ある種の結論としての態度が提示されたとき、別の意識が生まれた。

栗原と白石は対談を通してひとつの態度にたどり着く。それはレヴィ=ストロースに由来する「ネコと目配せする」*6という一言で表される。

白石はバルトの「0度のエクリチュール」をもじり「表象の0度」*7という概念を提示する。*80は1と対置される。1は起源である。たとえばどこかにユートピアがあると考えそれを求めたり、人類が文明に支配される前に帰ろうというのは1に向かっていく行為である。しかし、1は拠りどころでもある。それを求めるということは、自分以外のモデルを求めることであり、それは新たな支配へとつながる。対して、0は「離脱」*9の果てにあるものとされる。表象で固められた文明世界の中で徴候を知覚する。徴候の知覚を広げていく。そうして表象の世界から離脱し、「表象の0度」へとおりていく。徴候を知覚するというのは難しいことではない。それは「ネコと目配せする」ぐらいのことでいいのだ。

文明は表象によって力を持つ。つまり、表象を根絶やしにしなければ文明は潰せない。それは難しい。だから、徴候の知覚を広げることで表象から離脱していく。それは「革命的であることかもしれない」*10と白石はいう。そういう生き方が「アナーキーである」*11ともいう。

正直、このような優しい革命があるのかと驚いた。アナキストと革命が一気に身近になったような気がした。

 


    最後に白石の言葉を引用する。今回の文章ではふたりが小説について語った部分に触れることができなかったが、小説=ロマンも徴候の知覚を広げるのに大切なものだとされている。


天皇憲法なしでも人生はやっていけるけれど、ロマンとシネマなしではやっていけない。それがアナーキーということです。」*12

 


追伸
    本書では上に書いた以上にたくさんのこと(島原の乱、鎌倉仏教、縄文、プルーストなどなど)に触れられていますし、もっと多くの考えが提示されています。ぜひ、買って読んでみてください。アナキズムとか現代思想とか全然知らないって人はとくに。逆に、そういうのに詳しい人が読んだらどういう感想を持つのかが気になります。

    「やりがい搾取」についての話も出てきて、偽の能動性にもとづいた搾取とかそもそも能動性ってなんだろうということを最近考えています。

 

 

文明の恐怖に直面したら読む本 (ele-king books)

文明の恐怖に直面したら読む本 (ele-king books)

 

 

 

何ものにも縛られないための政治学 権力の脱構成

何ものにも縛られないための政治学 権力の脱構成

 

 

 

不純なる教養

不純なる教養

 

 



*1:栗原康・白石嘉治『文明の恐怖に直面したら読む本』p.110。以下同書

*2:p.63

*3:p.112

*4:p.175

*5:p.173

*6:p.184

*7:p.189

*8:ここには、カミュが死の予感の中で開きなおって『異邦人』を書き新しい文体を生み出したこと、レヴィ=ストロースが失意の中で開きなおって『悲しき熱帯』を書き現代思想が始まったことからの発想が含まれている。『悲しき熱帯』から現代思想が始まったという白石の論は次の論文に詳しく書いてあります。学術情報リポジトリ

*9:p.185

*10:p.189

*11:p.190

*12:p.191

Michel Houellebecq『HYPERMARCHÉ – NOVEMBRE』を訳してみた

HYPERMARCHÉ – NOVEMBRE

Michel Houellebecq

 

D’abord j’ai trébuché dans un congélateur,

J’me suis mis à pleurer et j’avais un peu peur

Quelqu’un a grommelé que je cassais l’ambiance,

Pour avoir l’air normal j’ai repris mon avance.

 

Des banlieusards sapés et au regard brutal

Se croisaient lentement près des eaux minérales;

Une rumeur de cirque et de demi-débauche

Montait des rayonnages. Ma démarche était gauche.

 

Je me suis écroulé au rayon des fromages;

Il y avait deux vieilles dames qui portaient des sardines.

La première se retourne et dit à sa voisine:

‘C’est bien triste, quand même, un garçon de cet âge.’

 

Et puis j’ai vu des pieds circonspects et très larges;

Il y avait un vendeur qui prenait des mesures.

Beaucoup semblaient surpris par mes nouvelles chaussures;

Pour la dernière fois j’étais un peu en marge.

 

 

 

大型スーパーマーケット – 11月

ミシェル・ウエルベック

 

まずぼくは冷凍庫の中へよろめいた、

ぼくは泣きはじめた、ちょっと怖かった

おまえが空気を悪くしたんだと誰かがぶつぶつ言った、

なんでもないようにふるまうためにぼくは再び進みはじめた。

 

着飾った郊外の人々が乱暴な目つきをしながら

ミネラルウォーターが並ぶ脇をゆっくりとすれ違っていた。

ばか騒ぎのそして中途半端な放蕩のざわめきが

棚々から起こっていた。ぼくはぎこちなく歩いていた。

 

ぼくはチーズ売り場で倒れ込んだ。

ふたりの老婦人がイワシを持って歩いていた。

先を歩いていた方が振り返って友人に言った、

「やっぱりこの年頃の男の子はとても痛ましいわ」と。

 

それからぼくはとても幅広く慎重そうな足たちを見た。

店員が寸法を測っていた。

たくさんの人々がぼくの新しい靴に驚いているように思えた。

これを最後にぼくは少しも疎外されなくなった。

 

 

Unreconciled: Poems 1991?2013

Unreconciled: Poems 1991?2013

 

 



柿村将彦『隣のずこずこ』読んだこと考えたこと

 ハイデガーが言うには、人は自らの死を自覚し、死までの期間を自分の使命を全うすることに費やす決意をすることで実存の本来性に目覚めることができるらしい。そして、死への存在として自分の道を生きていくことが大切であるらしい。自覚の仕方にも色々とあるだろうが、もしいきなり自分があと1ヶ月の命であると分かったとき、人はどのような行動を取るのだろうか。そして、死を自覚することで得られる使命とは何であるのか。
 柿村将彦『隣のずこずこ』(新潮社、2018)は強制的に死を突きつけられた人々を描いた小説だ。権三郎狸の伝承がある村に本当に権三郎狸が来ることで物語は始まる。権三郎狸の伝承というのは、ある村にひとりの女が来て1ヶ月間を村で過ごしたのちに村から去っていくが、なぜかそのあとを権三郎狸という信楽焼の狸みたいなやつがずこずこと追いかけてきて村の住人を全員食べて村を焼き尽くしてしまうというものだ。その権三郎狸があかりさんという女性とともに村に来たのだ。あかりさんが言うには、一緒に来た権三郎狸は本物であり、自分が1ヶ月後に村を出たあとに伝承通り村人は全員食われ、村は焼かれ、村人たちや村について他の人々は思い出せなくなってしまうらしい。そんな途方もない話を聞かされた村人たちは、1ヶ月後に皆死ぬという事実を案外すんなり受け入れる。
 しかし、それからの行動は三者三様である。あるものは貯金を全て高級肉に費やすことに決め連日バーベキューをし、あるものは死ぬという事実に耐えられず家に引きこもり、あるものは今までと変わらない生活をする。その様子が割にのほほんと描写されていく中である事件が起こり、実存的なテーマの中に記憶に関するテーマが織り込まれていくのだが、ここでは記憶に関する話は置いておく。話を戻すと、そのような村人たちは死を認知した存在ではあるが、本来的実存であるとは言えない。それはなぜか。死と向き合っていないからだ。死から逃げているとも言える。彼らは日常を続けることで、もしくは日常から乖離することで死から目を背けている。死を認知してはいるが、自覚はしていない。そして、それはいつか死ぬということを知ってはいるがその死に実感を持つことができていない人々、つまりハイデガーの言うところの「世人」であり大多数である人々の現に今の状態だ。主人公のはじめも最初はそのうちのひとりであったが、自分の死を直視し自分の使命を見つけそれを実行しているある人物と相対することで自分の使命を見つける。そうしてはじめは本来的実存になる。
 ここで終わればこの小説はハイデガーの思想をなぞったようなよくある実存主義小説になってしまっていただろう。しかし、この小説は他のありきたりな小説群、そして実存主義と一線を画している。それは、死を自覚したある人物とはじめが見つけた自分の使命の内容による。ありきたりなものだったら、使命の内容は社会貢献であったり愛であったり夢の実現であったり、そのようなものを含めた自己実現であったりするだろう。しかし、ふたりの使命は違う。ふたりの使命、それは自分が死なないことである。確かにそうである、自分が死ぬと分かって人がまず思うことが「死にたくない」である可能性はかなり高いのではないか。「死にたくない」は死という現実から逃げる行為であるという意見もあるだろう。しかし、柿村将彦は「死にたくない」こそがもっとも真剣な死との向き合い方であると考えているように思われる。死は乗り越えられる壁として据えられるべきなのである。いかにして死なないでいられるか、それこそが死を自覚した人が考えるべきことなのではないか。しかし、現実問題として人は必ず死ぬ。それが比較的早いか遅いかというだけである。そのため、人は他者の記憶の中で生き残ろうとする。ここで先ほどの記憶に関する話題が戻ってくる。のだが、もう文量も多くなってしまい、また書く気力もなくなってきてしまったので、ここら辺でまとめに入りたい。
 この小説の第1のテーマは死と本当に向き合うとはどういうことなのかということである。死と向き合い、「死にたくない」という自分の使命を見つけたある人物とはじめがその使命を達成できたのかどうかは実際に読んで確認してもらいたい。また上にも書いた(書けなかった)が、この小説の他のテーマとして記憶が挙げられる。覚えている、忘れていない、とはどういうことを言うのか。さらに、人は他者の記憶の中で生き続けることはできるのかという問題も浮上してくる。そして、実存に関するテーマと記憶に関するテーマは小説の最後で完全に結びつく。他にもこの文章を書いている間に、この小説に出てくる死は本来的な死ではないのではないか、だとか、この小説を読んだ人には分かってもらえると思うが、村を破壊してしまう権三郎狸は実は村人たちに永遠の命を与える(死を乗り越えさせる)存在なのではないか、だとか色々と考えたいことが出てきた。とりあえず自信を持って言えることは、日本ファンタジーノベル大賞2017受賞作はファンタジックな題材と軽やかな文体の裏に様々な問題意識を忍ばせたまさに狸みたいな小説である、ということだ。

追伸
 是非とも園子温に映画化してもらいたい(角材、日本刀、拳銃等が出てくるので)。

 

隣のずこずこ

隣のずこずこ